一日二十四時間、時間は誰にも平等に与えられている。
わたしたちは、そんな錯覚にとらわれがちですが、実際には、時間は平等でもないし、与えられるものでもありません。 時間の感覚、時間の長さは、人によって、時によって、たいへんな違いがあります。 月から金まで会社にお勤めしていらっしゃる方にとっては、時間は「週末まであと何日」ということかもしれないし、「退社時間まであとどれくらい」と時計を見る人もいるでしょうし、お給料をもらえる「月末まであと何日」と楽しみに指折り数える人もいれば、社員にお給料を払う側の社長さんにとっては、「月末まであと何日」は同じでも、顔を青くして金策に走り回る何日、のことかもしれません。お腹の大きな女性は「臨月まであと何週間」だし、エアロバイクでトレーニング中なら「あと何分頑張れ!」と自分を激励するのだし、刑期終了まで「あと何年」と数える人もいるわけです。
「バレエは三才から始めて、ちょうど三十年目になります」「メイクアップアーチストの勉強を開始したのがちょうと五年前です。やっと一人立ちして自立できるようになりました」「ニューヨークで三年は頑張ってみようと思って来ました。気がついたら、二十年ここで走り続けてきました」」などとおっしゃる方々もいます。わたしの両親は、昨年金婚式を迎え、家族でささやかなお祝いをしました。 結婚五十年のドラマがここにあり、また水泳選手の 0.1秒のドラマもあります。一本の電車の乗り遅れの恋のはじまりというドラマもあるでしょう。 このように、わたしたちは皆、それぞれの大事な何年、何月、何日、何時間を持っていて、かけがえのない何分、何秒を持っているものです。そして、それらの過去の経験を通して、それぞれの時間の観念を作り上げ、その観念に基づいて、未来の時間を計っています。すなわち、過去を振り返るときに見える時間の帯も、未来を透かし見ようとしてみるときにぼんやり浮かんでくる時間の行方も、人によって、まったく違った様相、長さ、密度、色合いを示すということです。 時間が、そのように伸縮自在、体験次第、つまりどのようにでも創造し使えるものならば、なによりも、時間を、より良く使いたい、しあわせのために使いたい、と思います。 この、「しあわせのために使おう」と思うことこそが、自分にとっての時間、人生という時間をより明るく輝けるものに変えていくことになるのではないでしょうか。 一年のはじまりや、新しい月のはじまり、それ自体に別に意味はありません。けれども、カレンダーの新しいページを、「しあわせのために時間を使う、仕切り直し」の日に利用することはできます。結婚記念日や誕生日と同じように、「これまでの時間、ありがとう」と感謝し「さあ、改めてしあわせな時間にフォーカスをあてよう」と心に思うなら、あなたの心に、またひとつ、かけがえのない一日やひと月が生まれるでしょう。
LINQUE でみなさまとおつきあいをさせていただいて、五年経ちました。この五年間のさまざまを、共有することは誰にもできません。ただそれぞれの五年があっただけです。長いとも短いとも有益だったともムダだったとも、比較できない、ごく個人的な時間が、ひっそりと、それぞれの心のなかにたたずんでいるだけです。でも、「今までみなさん、ありがとう」と改めて感謝し、「さて、この区切りに、またひとつしあわせを増やすことにしよう」と思うことはみんなで分かち合えるし、分かち合えるものは、ますます増えて、大きな飛躍のバネの力を創造するものなのです。 わたしもみなさんと同じバネを共有させてください。同じ思いを分ち合わせてください。『ご一緒に、ますますしあわせな時間を創っていきましょう!』
(初出誌 Linque Vol.21 発行:国際美容連盟2008年6月)
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