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執筆者の写真Yasuko Kasaki

35. 心の筋力トレーニング

心の筋トレをしてみましょう。

「 わたしは、自分の間違った思いを正当化するために、あらゆるものを見ている」

この文章を声に出して言ってみてください。どんな気持ちになるでしょうか。あなたの身体はどんなふうに反応するでしょうか。 あらゆるもの、というからには、あらゆるものなので、好きな人も好きになれない人も、大事な人も名も知らない人も、含まれます。 どうしても好きになれないなと思う、同じ職場のその人を、好きになれない理由はただひとつ、その人に苛立っている間は、自分の心に起こっている「気に入らない/腹立たしい/情けない/苛々する/悲しい、等々の思い」を正当化できるから。もしくは、それらの思いを直視しなくてすむから。 面倒な出来事がまた起こってしまった。その原因は、ただひとつ、面倒なことが起こってくれるおかげで、自分の心に起こっている「むなしさ/欠落感/劣等感/不安、等々の思い」を正当化できるから。もしくは、それらの思いを直視しなくてすむから。 こんなふうに、気持ちを波立たせる、さまざまなことをあてはめてみてください。それらはどれも、自分の心にある歓迎できない思いを、自分の外側のものに責任転嫁するために、自分で利用しているものだということが、少しでも理解できるでしょうか。 大好きな人についても、あてはめてみます。 最愛の息子、頼りにしている夫、大事な両親、そんな自分の宝物を、いつもどんなふうに見ているでしょうか。 息子の成績や学校での態度が気になる理由はただひとつ、自分の心に起こっている「将来への不安/子育ての自信のなさ、等々の思い」を正当化できるから。もしくは、それらの思いを直視しなくてすむから。 夫の多忙過ぎる日々と健康が心配な理由はただひとつ、自分の心に起こっている「孤独感/さびしさ/自信のなさ、等々の思い」を正当化できるから。もしくは、それらの思いを直視しなくてすむから。 これは一例にすぎませんが、いちばん大事で、いちばん愛を注ぎ、注がれている相手に対しても、わたしたちは、いつも、あれやこれやのでこぼこを見つけては、心配したり、怒ったり、あわてたりしています。そして それはどれも、自分自身の思い、つまり、心の状態から目をそらすためにしていることなのです。相手に責任を押しつけていると言ってもいいでしょう。 何の責任を? 自分自身に対する不満や怒り、心配や空虚感、その他たくさんの、しあわせでない思い、満足できない思い、安心していない思いの責任を、です。わたしが不安なのは母親の病気のため、わたしの苛立ちがおさまらないのは、夫がしょっちゅう飲んで暴れるため、と責任を転嫁しておくほうが楽そうに思えるからです。 親の病気やアルコール依存の夫に対することはもちろん楽ではないのですが、それでも、そのほうがまだ、 自身の心を直視するよりは、楽だと信じています。いつも怖がっていて、自信がなく、人の目が気になる自分の心を認めるのは、とてもつらいことのように感じられるし、それに、そんな自分の心を変えるより、病気が治るとか、夫の暴力がおさまる、または、そんな夫と離婚する、といったことのほうが、ずっと現実的で希望が持てるように錯覚しているのです。 わたしたちは、全員、そうです。自分を守っていかなくてはと思っているし、社会に受け入れられて、安全に生きていくためには、もっと頑張らなければと思っています。それは、おそらく、自覚しているよりもずっと大きな重圧です。悲痛なまでの努力です。そしてそのイバラの道を、少しでも楽に歩けるように、気晴らしや快楽を求めたり、人や社会に怒りをぶつけたり、工夫をこらしながらやりくりしようとしているといっていいでしょう。 でも、実は、そのイバラの道を抜け出す、ずっと簡単な方法があります。 心のなかに思いが生まれるとき、その思いの原因を探さず、思いそのものを見る、思いを感じる、思いにひたる、ということをやってみる、それだけです。 ああ、わたしはこんなに怖がっている、不安で震えている、ということを、逃げる代わりにしっかり感じてみるのです。心の痛みを、「痛い!」と受け止めてみるのです。すると、意外にも、痛みは速やかに通り過ぎていき、恐怖心も不安感も、逃げなければならないほどひどいものでないことがわかります。なぜならば、それらの思いは、自分のほんとうの思いではなかったから。自分の揺れ動く気持ちを見ないようにしているときには、岩のように固いものが心の中心にあって、それはテコでも動かない、と思えますが、それをまっすぐ見てみると、そこには岩などなく、ただ深い霧のようなものがあるだけで、そしてその霧は、見ていると、晴れてくるのです。 そして、霧の去った後に、ほんとうの思い、ほんとうの自分の心が見えてきます。それは、たぶん、ふんわりとやわらかく、暖かく、穏やかで、力強く感じられるでしょう。 「わたしは、こんな自分をちゃんと表現したかったんだ。それだけを望んでいたんだ」 と、気づくでしょう。 自信のない自分をなんとか良くしていきたかった、のではなかったのです。そうではなくて、「わたしとは、こんな弱々しい存在ではないはず。ほんとうのわたしはこんなではないはず」という叫びだったのでした。そして、その叫びは正しく、確かに、今まで、怖さや不安、自信のなさといったものの間をぐるぐるまわっているばかりで、その向こう側にあるほんとうの自分自身に到達していなかったのでした。 ほんとうの自分が在る。それは美しく強い。それを表現したい。そんな思いを忘れずにいましょう。そして、目の前のその人を、自分の心から逃げる道具に使う代わりに、表現を受け止め、分かち合ってくれる人とみましょう。人生は、たちまち、変わります。

(初出誌 Linque Vol.36 発行:国際美容連盟2012年3月)

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