インタビュー

この、香咲弥須子ロング・インタビューは、2014年 7月11日、国際クレイセラピー協会の勢田仁美氏によって行なわれたものです。

以下、勢田氏の前文に続くインタビューの内容を公開しています。

 

2004年に国際美容連盟(IBF)主催により開催された≪香咲弥須子スピリチュアルセミナー≫は、その後、IBFを含む5団体-日本アロマコーディネーター協会、フラワーデコレーター協会、日本リフレクソロジスト認定機構、国際クレイセラピー協会-の共催となり、この2014年で10年目を迎えます。

香咲先生が生活と仕事の拠点とするニューヨークは、資本主義を最も極端な形で体現する場所だといわれています。世界の新しいムーヴメントは、常にニューヨークの街中に見ることができます。特に2009年以降は、それまでマンハッタンの二次的存在だったブルックリンがニューヨークの新しい価値観に基づく文化を形成し、それが世界のトレンドとして今広まりつつあります。そういった時代背景の中、今特に注目されているのは、パーソンtoパーソンというビジネスモデルです。文字通り、個人と個人が繋がるビジネスモデルですが、これは才能や技術、個性や感性、価値観を共有しシェアするというコミュニティ型のビジネス形態を取ることで、フリーランスや個人の起業家であることが大きなメリットとなります。ここで重要になるのが、自分自身のビジネスにおけるコンセプトとそれを魅力的に伝えるコミュニケーションのスキルです。

今回は、スピリチュアルカウンセラーとして世界的なセレブをはじめ、起業家やビジネスマン、主婦など、経歴や人種を問わず、多くのクライアントを持つ香咲先生に、今に至るまでの経緯とスピリチュアルワークの柱となる「奇跡のコース」、そして11月に行われるワークショップについてお話を伺わせていただきました。

文字から伝わる先生の言葉を、ライブとなるワークショップで実際に体感し経験していただくその序章としてお読みいただければ幸いです。

Hiromi Seta

 

Q 記念すべき10周年目になる香咲先生の今回のワークショップ開催の前には、10年という歳月の中で新たに加わっていただいた会員の方々、そしてジェネレーションの方々に向けて、あらためて先生のご紹介をさせていただきたいと思っているんですが、先生がスピリチュアルカウンセラーとなられるまでの経歴を少しお話いただいてもいいでしょうか。

―そうですね。私は昔から「本当のことって何だろう、この世の中って曖昧で不確かだな、どうやったら信頼できるのかな 」などいろいろな想いがあって・・。想い方ってその時々で変わるけれど、「本当のところは何なんだろう」という想いが常にあったんですね。もう少し単刀直入に言いますと、私は小さな時から「目に見えないものの存在の方が、本当のものだ」と分かっている感じがしていたんです。「目に見えているものは、実はあてにならない」ということがわかっていたんですね。「目に見えるものはあてにはならない」というのは、とても居心地の悪いことだけれど、「目に見えないものというのはいったい何か」ということもよくわからないわけです。目に見えないものの存在があることは幾つかの経験で知ってはいたけれども、それがどういう存在かもわからない。傍から見ると私自身、この世の中の色々なことに夢中になっているように見えたかもしれないけれど、どちらかというと逃げ道として使っていたというか、いろんな事に夢中になっている「フリ」をしていたというか、結局、本当の疑問を忘れた「フリ」をずっとしていたんですね。

そうこうしながら、32歳のときにニューヨークで離婚しているのですけど、その時にはじめて自分で「こうしたい!」と思っている行動ができない、という経験をしたのです。ほんとうは、主人と一緒に日本に帰って、マンションを買って、子どもを産んで、家庭を作るつもりでいたし、実際、マンションの手付金を払うところまでいったのに、実際にはどうしてもそれが出来なかった自分がいて・・。なぜと聞かれても困るんです。主人のことは大好きでしたしね。何かわけのわからない力に押さえ込まれるようにして、結局、一人でニューヨークに残りました。

ただ、一人残ったからといって、何をしようとしているのか自分でも全然わからなくて・・。それまでは収入も、自分で働いた分のお金が入るのは当たり前のことで、収入にあわせて支出を計算してやりくりしていくのも当たり前のことで・・。

そういうことを自分でちゃんとやってきたつもりだったのに、その年はもうまったく仕事をする気にもならず、バガダッド・ギーターの英語版を日がな、何という目的もなく日本語にしてノートに書き移したりしていました。猫以外、ほとんど誰とも口をききませんでした。今思えばインナートリップにどっぷり浸かった日々でした。そのときに、今まで自分の力だけで頑張ってきたつもりだったけど、実際には、すごく大きな目に見えない力に押されているということを本当に思い知った感じでした。

収入がなかったわけですから、お金もどんどんなくなります。一年たって、「次の家賃どうするの?」という時に、忘れていたお金がまとまって入ってきたり、「誰かに教えて欲しい」と思うと、そういう方が現れたりという経験を立て続けにしました。まさしくその時に出会った本が、「奇跡のコース」だったのです。この本が何を教えてくれたのかというと、「目に見えるものは、あてにならないもの。本当のものは、あてになるもの。あてになるものはちゃんと存在するのですよ」ということを論理的に教えてくれました。これで永年のなぞが解けたんです。

その時に、自分に自信を持つこと、ここに居ていいんだと感じること、生きることはそれだけ価値があるという思いは、「安心できる状態」の中にあって、「自信を持つということは結局、安心するっていうことなんだなぁ」と確信することができたのです。

今が私に至った出発点は、そんな感じでした。

どんな状況下であっても、誰しもが皆、適材適所にいます。自分も適材適所に居て、この人も適材適所に居て・・。ただ、「何で私はこんなところにいるんだろう」とほとんど全ての人が考えるんですね。「こんなところに居るべきじゃない」とみんな全員が思っている。

でも、私たちは適材適所に居ます。「適材適所に居る」というのは、そこに置かれている状況もそうだし、仕事もそうだし、囲まれている人間関係もそうです。与えられている仕事とかチャンスとか、それら全てを含めて全部、自分にとって最良のものです。

今、自分が抱えている問題であるとか、状況であるとか、抜け出したいものであるとか、離れたい人であるとか、そういうものを良きものとして使いこなしてゆくこと、それをワークすることが実は今回のワークショップの目的でもあります。ただ、話を聞いて、頭で理解して、「あとは自身で頑張ってみて」ではなくて、その場で実践して体験して習得していただくワークショップです。

 

Q ワークで学ぶことは、「たいへんだ、辛い」と思っている状態も実は最適なもので、その状況は、根本的な問題が解決することで変化するということでしょうか。今置かれている状況は「成るべくして成る自分、本当の自分」になるためのステージ&勉強という感覚であってますか?

―そうですね、例えば、ここに嫌な上司がいたとして(笑)、この上司が居る限り私の仕事生活は駄目だと思っている従業員がいるとして、「このボスさえいなくなれば、私は幸せなのに」とか、「このボスがいる職場は嫌だ」とかそのように思うことがあるとします。

ただ、こういうボスが今ここに居るということ自体が、何かの理由で自分にとっては最適で、ボスとの関係を解決することが、自分の幸せにとって一番近道なことだと理解できたと同時に、実はこの問題は消えます。

どのように消えるのかというと、ボス自身が変わってくれる、いなくなってくれる、あるいはこのボスの存在そのものが気にならなくなる~というように、形はさまざまですが、葛藤が消えるという点では同じです。

心の中にいろいろな葛藤があったり、心が分裂している間は苦しい状態は続いてしまいますから、葛藤が消えるということは、本当に大事なのですね。それこそが人生を決定すると言っても言い過ぎではありません。

「自信をつける」という時に、セラピーなどのように人を癒す、サービスする、気持ち良くなっていただく、寛いでいただく、「お蔭様で治りました」といっていただく~ということに従事する方にとって、目に見ることができない「心の癒し」が提供できているかいないか、相手に伝わっているかどうか、その「自信」が、実際に持てるかどうかが決まってきます。

大切なのは、

・自分がやっていることに疑いを持たない。

・自分が気持ちいいと思うことに疑いを持たない。

・そして気持ちがいいと思うことをやり続ける。

ということです。つまり何か選択肢があった時に、自分にとって気持ちのいい方を選ぶ習慣を持つことです。「どっちの方がいい選択なのか、すべきなのはどっちなのか、どっちが賢いのか」ではなくて、「どちらの方が自分として気持ちがいいか」で選ぶということです。

自分自身に嘘をついてまで、したくない道を行くのは気持ちが悪いし、自分の好きでもない人と一緒になるのは気持ちが悪いし、人に嘘をつくのは気持ちが悪いし、自分に嘘をつくのも気持ちが悪いですよね。

逆に、気分のままに「こうしたいのよ」「こういうことがやりたいの」「仕事もしないで遊んでいたいの」ということをやっていれば気持ちがいいのかというと、これもまた、そうでもなかったりします。

「本当に気持ちのいいこと」というのは、「真に自分が求めるものとやっていることが一致する」ことが重要です。要するに、ほんとうに自分が求めていることが何なのかが分からければ、気持ちがいいことも分からないということです。

 

Q.何がほんとうに気持ちいいのかも分からなくなってきているところが、やっぱり今の私たちにはあると思います。自分が何を望んでいるのか分からない・・。

食べたいものだったり、観たいテレビだったり、欲しい洋服だったりと浅いところでの欲求はわかっていても深いところで何を自分が求めているのか、本当のところを分からない。ただ、無意識に選択している欲求も、実は深いところにもつながっているので、そこから先を自ら探って深めていくことで、本当に自分が求めていることが見えてくるってことでしょうか。

―そうです。

一般的に、人が「求めるもの/欲求」は、ピラミッドのように、底辺には体の本能があり、「休みたい、食べたい」というような衣食住への欲求が満たされることで次の欲求が出てくるといわれています。

※マズローの法則、自己実現理論マズローは、人間の基本的欲求を低次から

1.生理的欲求(Physiological needs)2.安全の欲求(Safety needs)

3.所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)4. 承認(尊重)の欲求(Esteem)

5.自己実現の欲求(Self-actualization)6.「自己超越」(self-transcendence)

 

「奇跡のコース」のおもしろいところは、私たちの心の中には体の欲求よりももっと基本的な欲求があって、それは「完全な自分自身を表現する」という欲求である~といわれています。「奇跡を求める欲求」ともいっていますが、完全な自分を体験する、ほんとうに限りなく自由で完璧な自分を経験したいという強い欲求があるということをいっています。この深い部分での心の欲求を理解することで、この心の欲求を満たすために体を使うというステップに変化していきます。あきらかに逆ピラミッド型の欲求のフォームです。逆さまにする経験というのが、面白いのですけれど、この逆さまをみんなで体験するのが、まさしく「奇跡のコース」になります。

たとえば、「フランスに行きたい、なにかフランスには縁があるような気がする」といって実際にフランスに行ってみたとします。すると、念願のフランス行きが実現したのにも関わらず、フランスの地に立ちながらも「結局何だったんだろう」という空しい感覚に襲われる~なんていうことは、意外とよくあることです。

ほんとうにしたい事は「フランスに行く」ということだったのか、どうなのかということです。

「この人と結婚したいというは、ほんとうは何なのか」、「なぜそんなにアロマの気持ち良さを追求したいのか」・・もちろんその理由は人それぞれに違うと思うけれど、心の奥深いところでは、結婚やアロマの気持ち良さへの追及は二の次で、本当のところは、「安心していて大丈夫」ということを自分に対して許したいだけなのかもしれません。

自分が本当に求めていることを見つけるためには、自分が本当にくつろぐことをまず自分に許すことが大事だし、それはアロマなどを学ばれているような皆さんであれば当然普段から、「気持ちよくていいんだ」ということ練習していらっしゃると思います。

私たちは、「だいたい人生っていうのは、そんなに気持ちの良いことはない。あったとしてもそれは、ご褒美のようにあるだけ。人生のほとんどは不快だと思っています。「不快なことの方が多い」と思いながら生きてしまっているとしたら、勘違いしています。

「気持ちいいこと」を追求していくと、ほんとうに深いところで求めているのは何かが分かってきます。それはお金がたっぷりあって、働かなくてよくて、旅行なんかをしていれば気持ちがいい~とは、たぶん思わないのではないでしょうか。「・・・たぶんそうじゃないなあ」「ほんとうに欲しいことではないなあ」とすぐにわかるのではないでしょうか。ほんとうの欲求は、もっと自分を人と分かち合ってゆくような、そんなことだったりすることが多いですね。

昨日、あるセミナーでお話させていただいたのですが、ハーバードのビジネススクールが求める新入生/人材についてニューヨークでうかがったことをお伝えしました。ハーバード・ビジネス・スクールといえば大学の最高峰のひとつといわれていますが、新入生を取るときのスタンスが、新入生全体の20%は、①この人だったらハーバード大学に残って教授となりハーバードを継いでくれると思われる人材。次の20%は、②ウォールストリートに送り込んで世界経済を支えてくれるであろう人材。そして次の20%は、③IT関係で世界の未来を支えてくれる人材。最後は④どこにいってもいい・・・ということだったのだそうです。ところが、この過去2年間で随分と変わって、今世界で一番必要なのは、「セルフディスプリン/self discipline~自己管理能力」いわゆる、「自分を律する心を持った人間」、そんな生徒をとりたい、と打ち出しているというのです。 具体的にどのようにその判断をするのかは伺っていないのですが、「自分で何かに打ち込み、そこで何かの成果を見つけ、それによってどのように自分の心が豊かになったのかを見極められる人」というところを見るのだと思います。

「Self Discipline/律する心を持つ」というのは、「辞めたいのに辞められないものがある」とか、「やらなくちゃいけないと思いながらなかなかやれない」などど、心に葛藤を持って、または心にいろんな声が騒がしく響きわたっているのではなく、ひとつの思い、ひとつの声だけが全体を満たしている心、100%、疑いなく、半端でなく、気がかりなく、気兼ねなく、そして喜びをもって、たった今、していることに向いている心を持つということですね。

それを「奇跡のコース」では、「心が過去と未来に彷徨ない」「過去の混沌を持ち込まない」「“今”に存在する」状態と言います。

過去を持ち込まないためには、自分の心のメカニズムを知って、心の中の自我の部分ではなく、スピリット/魂の部分を理解する必要があります。ただし、心のメカニズムを知って、自分を律する心、そして自分の心の力を駆使する方法を理解するためには、実践的なワークが必須になるでしょう。

 

Q.「Self Discipline/自分を律する」は使命感とは違うんでしょうか?

―それもひとつですね。

どうして自分が生きているのか、どうして自分がここに居るのか~ということが分かっているのと分からないのとでは、生きていく上での安心感には天と地ほどの差があるのではないでしょうか。

「どこに向って努力していいのかわからない」、「何のために努力すればいいのかわからない」となると、やみくもに、ただひたすらより良くなるために頑張るといっても、どこに向かって、どっちの方向に行けばいいのかもわからない、という状況になってしまいます。何が目的なのか、何を本当にしたいのか、という「自分の心に触れる」こと、「葛藤のない心を持つ」練習がどうしても必要ですね。「ほんとうは、こんなことやりたくないのに、ここにいる私」とか、「AさんにもBさんにもプロポーズされて、どうしよう。自分の気持ちがわからない」というのは、辛いというより、自信なくしますよね。そういう経験をするたびに、自分に敬意を払えなくなっていきます。

 

Q.「何を求めているか、何をしたいのかを見つけて、揺れ動かないでそれに向かっていく」。ただ、これって分かっていてもなかなかできない~目的がわかっても、進むために100%そこに集中できない、過去と未来に揺れ動いてしまっていて今に集中できない~ということが多いような気がするんですが、どうでしょう?

練習しかないです。

たとえば、「理想的な一日」というのを思い浮かべる練習をしてみてください。

「理想的な平日の一日」とか、「理想的なバケーション、休日の取り方」でもいいでしょう。それを頭で考えるのではなく、ビジュアライズしていきます。「こんなふうに朝を迎える」「こんな人たちと一緒にいる」「こんなことをしている」「こんな服を着ている。肌触りはこんな感じ」「こんなおしゃべりをしている」「こんな音が聞こえてくる」ということを、できるだけ細かくイメージしていきます。「こんなことが実現するわけない」「どうすればそうなれるのか」などと考えないでください。「もっといいイメージがあるかも」と迷う必要もありません。楽しんで、わくわくしながら、そのイメージのなかのご自分のお住まいに、素敵な花瓶を置いてみたり、きれいなブレスレットをはめてみたり、できるだけ豊かにしていってください。もちろん、それとは逆に、いろんなものを省いていって、すっきりとした、静謐な空間を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。いずれにしても、いったん、そのイメージをそのまま自分のインナーティーチャーの存在に預けます。「こういうもの、こういうことを私は欲しがっていますけど、これをどうぞお使いください」というように。

 

Q.思い描いたことをいったん預けるのって、意外と難しくないですか?

―「あずける」というのは祈りの力ともいえます。

 

Q.「完成したイメージ」をいったん手放してみるということですか?

自分のイメージに固執しないということでしょうか。

―そうですね。自分でイメージしたものは、どんなに欲張ってもどうしても小さく見すぎるんです。私たちの望み方はだいたいが、「せめて・・」になってしまってます。

「せめて@@のようにしたい、せめて@@だったらいいな」「せめてこのくらいの収入」「せめてこういう人だったらいい」とか、「せめて」っていうのが、実はすごく小さい。(笑)

ただ、本当にビジュアル化できると、「あ、この感じ」っていう具合に感覚がつかめます。その感覚のままに、その「感じ」を押し広げていくと、もともと自分がイメージをしたものよりも大きな状況を手に入れることができます。すべてがそのように手に入るようになっているんです。

 

Q.手に入るようになっているんですか?

―そう、手に入るようになっています。誰もが、いずれは、すべてを手に入れます。それが『この<宇宙>より大きい宇宙の法則』 です。

 

Q.実は個人的に「奇跡」の話題がここのところずっと続いていて、この数日間あらゆる分野の奇跡のお話を聞いているんです。その中には、あの木村秋則さんの「奇跡のりんご」も入っていて、結局、皆さん共通しているのは、目に見えているものは、実際は本当ではないということ、真実は見えていないものの中にあるということをおっしゃられていたんですが・・。

―目に見えないものの光を受けるには、目に見えないものの秩序を受け入れる必要があります。その秩序が受け入れられると、目に見るものにも実は秩序がうまれます。そうすれば、目に見えるもの、目に見えないもので翻弄されるということがなくなります。

自分の目に見えないものが何か、理解できると、自分というのも体ではなくて目に見えない心だということが分かります。そうすると怖いものがなくなります。怖いものがなくなると、病気というのも自分に降りかかってきた災難ではなくて、自分の心の中の想いを投影して体のせいにしているということも見えてきます。結果、病気も自分が起こしていることだから、自分で取り消すことができるということも分かります。

怖いものがなくなって本当に安心した心が、自然に何をするかというと、安心した心を分かち合おうとします。奇跡の心は安心すると、溢れるものを分かち合うのです。

そして、分かち合おうとする心に相手は、必ず応えてくれる、ということもわかります。

ただ、そこに至るためには、手品のような方法は残念ながらありません。

コツコツと心のトレーニングをすることですね。練習しなければ。でも、この練習は、ほんとうに楽しい練習です。それは保証します。ひとつ練習すると、それだけ幸せ感が増えます。また、奇跡も起こります。これが「奇跡のコース」のカリキュラム特徴です。ただ、自分ひとりでコツコツやるより、できれば人に教えてもらってすぐにわかりたいと思われるかもしれません。結局は、自分自身でやるだけだということは、わかってきますが、それぞれが練習しながら感じる幸せや奇跡の経験を、みんなで、分かち合うミーティングやクラスがあちこちにあります。ワークショップは、モチベーションも高めることができ、「奇跡のコース」を実践している方々にとって、とても良い機会になっているという以上のものになっています。

 

Q.「奇跡」という日本語が「起こりえないもの」というイメージで一般的には思われている気がするんですが。。確かに時間が経って振り返ってみて、「あれは奇跡的だったかも」と思えることはあるんですが、それにしてもそう日常的には出会ない印象がありますよね。

―「奇跡」というのは、確かに「意外なこと」「思いがけないこと」っていうイメージがありますね。でも「災難」も思いがけないし、意外なことです。

つまり人生にはかならず、「思いがけないこと、意外なこと」は起こるということです。

人生というのは自分の頭で「こういうものだ」と思っていることを超えることが常にあるんです。「思いがけない災難」も「思いがけない奇跡」も実は同じもの。ただ、思いがけないことをどのようにして経験するにかによって災難なのか奇跡なのかに分かれるのですね。

 

Q.災難のほうが多くあるように感じるんですが。。

―なぜかというと、それは自分の心に痛みと罪悪感、自分はまだまだで駄目だっていう思いの方が強いからです。災難は起こるもの、奇跡はあり得ないもの、と信じているので、信じている通りのことを経験するのですね。

 

Q.自分に自信がなくて、自分自身に安心できていないから?

―自信が持てないというように決めつけているから、と言ってもいいかもしれません。

 

Q.確かに自分以外の人に起きていることは、「不幸」というよりも、「ラッキー」だなと思うことのほうが多くるように思います。それは、自分の感情を通さずに客観視できていて、そのせいで良く分かるということなんでしょうか。自分の感情を通して体験してしまうことで実際に起きていることをニュートラルに捉えられない。けれど、逆に他人におきていることは、起こっている事実だけを見ることできるので「ラッキー」だとわかるということでしょうか。

―そうですね。

2004年に、最初のセミナーを、東京お台場でさせていただいたのですが、そのときは、わたしは「奇跡のコース」という言葉は使っていませんでしたが、「まっすぐな線路も遠近法で見ているとどこかでぶつかってみえます。ただそう見えるだけで実際には線路はぶつかってはいないですよね。太陽は雲に隠れると視界から太陽はなくなってしまうけれど、実際にはなくなってはいませんよね。それと同じで「ぜったいこうなるはず」「だって目に見えているんだから」っていうのは当てにはならない。線路はぶつかっていないし、太陽も無くなっていない。それは奇跡なんです」と、まず、お話させていただきました。自分が目に見えること、経験していることは、本当の事実とは違うのですね。これがわかると、自分が適材適所にいるということもわかります。自分が居るだけで人のためになっているとか、何もしなくてもいいということが、理解できます。治癒というのは、 りんごや人参がしてくれるわけではありません。わたしたちが持っている自然治癒力、つまり心の力を発揮させるためには「そんなことはできるはずがない」という心を取り外すことが必要になるのです。

 

Q. たとえば3.11後の放射能が原因で子ども達の腫瘍マーカーがあがり、実際にはガンになってしまっているようなケースまである中で、それも奇跡といえますか?

―世界中には今、自閉症の子ども達がものすごくたくさん産まれてきています。この自閉症の子ども達を「特別な子ども」とか「インディゴチルドレン」とか呼ぶことを否定はしませんが、自閉症の子ども達が増えている原因は「汚染」です。

また、アメリカのある州のある地域では、全員、乳がんになっているということも現実にあります。それを調べてみると、そこの地域は、何らかの汚染だったり、農薬が原因だったりということがあります。これをすべて、「神様ってひどい、神様って本当に不公平、なぜ私にこんなことが降りかかってきたんでしょう?」ではなくて、神の愛が有るにも関わらず、なぜ私たちはこういった状況を選択してしまっているのか、見ているかを考えなければいけません。

 

Q.自分たちの選択肢がそういった結果を導いていることを理解して、そこから「問題」を解決していくってことですね。

―そうです。自分が経験していることすべて、TVやネットで見ている心痛いニュースもすべて含めて、自分たちが求めたことしか実際は経験していないということを受け入れることが必要です。その上で、「なぜ私たちはこんなことを求めてきたのだろう?本当は違ったことを経験したい」と決めて、今までのドラマを終えて、新しいことを経験すること、見ることも可能なのです。

 

Q.自分が何を求めているかわからないと選ぶこともできないってことですよね。選んでいるつもりで実は選ばれている状態になる。

―そうです。だから、「どっちにしたらいいんですか」ということになってしまうわけです。

ニューヨークのユダヤ人ジャーナリストのハンナ・アーレントの本か映画をご覧になりましたか。彼女は、ナチスのSSの再審判があったときに、「この人は別に悪人なわけではない、ただ単に物を考えていない人。ただ上の人間がそういったからやったまでと言っている。悪人ではなく物を考えない凡人なだけ。物を考えない凡人があれほど恐ろしいことをするものなのだ」と言いました。そして、ナチスだけでなく、ユダヤ人リーダーのなかにも凡人がいたということも発言しました。私たちは、彼女の洞察力と勇気に感謝しなければならないと思います。

※ハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906年10月14日 – 1975年12月4日)は、ドイツ出身のアメリカ合衆国の哲学者、思想家。主に政治哲学の分野で活躍。1963年にニューヨーカー誌に『イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』を発表し、大論争を巻き起こす。

彼女が言いたかったのは、その主体性のなさ。主体性がないと本人どころか多くの人々にも迷惑をかけることになり、更には悲劇を拡大させてしまうことにもなるということです。

だから、たとえば原発の問題にしても、今、どうやってそれを阻止するのかという「闘う」姿勢の代わりに、自分たちは、何を見たくて、どんなふうに生きたいかというところに意識を向けることが大切だと思うのです。「闘うことを原動力にして生きる」のか、それとも本当に「穏やかで平和な心を原動力にして生きる」のか、どちらを選ぶのかということです。「闘う心」を持つなら、「何度も闘ってきた、でもやっぱり負けたわ」というメンタリティーになります。「私はここで生きる」というのを受け入れると、自分の中に生まれる感覚を信じることになりますから、自分のことも信じていけるようになります。そして、たとえばデトックスでガンを治したという方がいらっしゃるなら、必ずそういう経験を人と分かち合うようになっているのですね。

 

Q. ほんとうにそうですね。

―その人ひとりが何かを経験し、それが大勢の人に伝わる、分かち合われるということは、素晴らしいですね。自分が経験しなくても誰かが経験をしてくれることで、自分のものになります。「奇跡のコース」は、「分かち合いの本」なんです。と。イエス・キリストが6千年を経て降りてきて、聖書の間違いを訂正しに来たといわれているんですが、イエス・キリストが磔にあったのは、私たちの罪を背負ってくださったからだという言い伝えは、実は自分が磔になってそれでよみがえったことによって、「あなたたちは何も悪いことはしていない。私はまったく傷ついていないということを見せた。私は傷ついていないことを見せたのだから、あなたたちも傷ついていない。あなたたちは二度と磔になることはない」ということなのだと言っています。それなのに、この世界では相変わらず、自分をみじめにして、自分を十字架にかけて、「誰のせい?あなたじゃないの?」とやっています。「私たちはもう十字架にいたくはありません」と本当に心に思えたら、十字架は外れます。

お願いすればいいのです。ハイヤーセルフ、インナーティーチャー、エンジェル、、、どんな呼び方でもいいですが、「奇跡のコース」では「ホーリースピリットにお願いをする」ということをします。

 

Qホーリースピリットにお願いをするって難しい気がするんですが、神社でお願いする感じと同じですか?

―同じでいいと思いますよ。ただ、私たちがお願いするとき、実は、お願いが叶えられることを信じていなくて、「できれば」と気持ちでお願いしていることが殆どです。

しかも、お願いしたことを忘れて答えを受け取らないことも多いですね。「奇跡のコース」では、「お願い」は願えば、絶対に叶えられてしまいます。たとえば、「Aさんと結婚させてください」「Aさんが私のことを好きになるのを助けてください」とお願いした時に、Aさんのことしか見ていないと、AさんよりももっとステキなBさんがやってきても気付くことができません。ただ、その願いを聞いたホーリースピリットは、「Aさんを頼んでいるけど、この人が本当に願っていることは、本当に愛されて、本当に安心すること」と受け取るわけです。そこで、その人がほんとうに愛されて安心するBさんを送ってくれるわけです。だからそういうことも有り得るのだということを念頭に入れて待ちます。待てばかならず答えはやってきます。

 

Q.自分のイメージとは違う本質的なものがやってくるということですね。本質のままにやってくるので、自分が勝手にイメージを作ってしまっていると見逃してしまって、挙句の果てに、願ったものと違ったものが来てしまった、願いは叶わなかった、と判断してしまうということでしょうか。

―たとえば、「私は絶対に約束の時間に遅れません」ということを自分のプライド/信条としていたとしますよね。「私は約束に遅れないのに、あなたはいつも約束に遅れてくる」と文句を言っていたとしますね。「私は無遅刻無欠勤なのに、どうしていつも遅刻ばかりするの?欠勤ばかりするの?」と思っているわけです。というのも「無遅刻無欠勤」が、自分のプライドであり、アイデンティティだからです。そこで、「もっと幸せになりたい」ということをお願いしたとします。するとホーリースピリットは、ただちにその答えとして、私が乗る電車を事故にあわせたり、私が乗っているバスを渋滞で前に進めなくしたりします。結果として遅刻する羽目になるわけです。でもその遅刻する羽目になってしまった時に誰も自分のことを責めないかもしれません。そうすると「自分が今までこだわってきたことは、なんだったのだろう」と思います。今まで、「これだけはしない」と自分の武器と楯にして、人が遅刻すると「何よあなたは」という態度をとっていたのに、自分が遅刻してもみんなに受け入れてもらったことで、こんなことに自分のアイデンティティを保っている必要はないんだってこともわかります。それはすごくいい発見、経験、気づきですよね。このように、ホーリースピリットは答えをくれることもあります。「一見、頼んだこととは違うこと」が起きるように見えることもあるのですね。

 

Q.でも一般的にはそういうことの方が多いですよね。自分たちは本質がわかっていないので、本質を見て願いがかなえてもらっても実際には叶っていないように見えてしまう。

―「奇跡のコース」ではこういっています。

「私の意思とあなた方の意思は違うので、自分の意思や願いを犠牲にしなければならないと思っている。でも実際に受けてみると、犠牲にしなければならなかったものは何もないことがわかる」と。

 

Q.ということは、望む側でも望み方をわかっていたほうがいい。過小評価したような望み方ではなくてってことですね。

―そうですね。

 

Q.先生の奇跡のコースの本の中で「エゴ」ということばが多く出てきますが、エゴっていうのは【我】という意味になりますよね。同時に「あなたが」ではなく常に「私がどう感じたか」と伝えることが書かれていますが、どういった違いがそこにはあるのでしょうか?

―「なんであなたってそうなの?」とか「あなたが言ったからこうなんたんじゃないの」というような言い方は、相手を責めていることになってしまいます。人を責めるのではなくて、「あなたがこういったことをしたので、私はこんなふうに感じてしまったの」と、自分の感想として正直に告白をするということです。「私はあなたがこういうことをするから私は悲しいし、すごくがっかりしたのよ」というように伝えれば相手を責めることにはなりません。

 

Q.自分がどう感じているかに集中する、ということですね。

―そうです。

「こんなことしたら、普通の人はこう感じるでしょう!?」と言うと責めになってしまいます。「私はこんなふうに感じてしまったの。これは私が勝手に感じてしまったことかもしれないけど伝えさせてね」ということであればこれは責めにはなりませんね。

 

Q.それは相手がどう受け止めようとしてもこちら側は関係がないということですか?

―基本的には関係がありません。要するに正直に伝えることが大切です。正直に伝えると相手は受け止めてくれます。

 

Q今回のワークショップの内容はどんなものになりますか?

―本質を知ることがメインのテーマになるでしょうか。

自分が何を求めているかを知ることが、スペシャリストとして成功する基本になりますから。もう少し、わかりやすく説明すれば、

・目的がはっきりとした毎日

・自分が何をやっているのか、はっきりと明確にわかっている毎日。

・自分が光に向かって進んでいることに自信のある毎日

・人間関係に自信の持てる毎日。

を送ることができるように、ご一緒に確認していきたいと思います。

「やればやるほどに疲労感が増していく」のではなく、やればやるほど正しいことをやっている、私の持てる力を使っている、使いこなす方向に進んでいるってことが実感できる毎日を送りたいですものね。そういう毎日を過ごすために、今ここに持っている、たとえば、アロマセラピーの資格であるとか、ヒーラーとしての活動であるとか、生徒として勉強していることとか、それらをどんなふうに、組み入れていけるのかをはっきりとさせていきましょう。

 

Q.光に向っているというのはいわゆる明るい未来に向ってということですか?

―人生の成功に向かって、と言い換えてもいいですね。

 

Q.自分が望んだように自分の望んだことを現実にする?

―そうです。みなさん、実はもうこのようなことはわかっていらっしゃるはずなので、それをご一緒に明白なものとしていくための機会にできればと思っています。スピリチュアル・リーディングや心のワークのための瞑想自体が、こんなに楽しいということを実感いただければ と思います。はじめて参加いただく方でもまったく問題ありません。

 

Q.ワークはみなさんに体験していただくものになりますか?

―はい。自分でもできる、相手の方のリーディングをするスキルを学びます。基本的にはペアになってやっていただきます。スピリチュアルリーディングができるようになると、人のコミュニケーションが怖くなくなります。驚くほどにコミュニケーションがスムーズになりますから、結果的にスペシャリストとしてのスキルがアップします。

 

たとえば、ご自分でサロンやお教室などをやっていらっしゃったり、これからそういった活動をしようと思っている方にとっては、ご自身が提案しているセラピーや技術の良さは、当然ご本人たちは分かっているとしても、それを「本当にいいこと、素晴らしいこと」として、その情熱と想いを「どう伝えるのか」ということが重要になります。そんな時に、生徒さんを怖がっていたり、コミュニケーションに自信が持てなかったりすることは致命的だといえます。

 

Q.それに加えて何を伝えていいかわからない。サロンや教室のコンセプトもはっきりとできないなど。ビジネスをしていく際の柱となるものが漠然としていて、決まっていないというケースも目立ちます。

 

―本当に求めていることと、実際に行動していることが違っているケースも多いです。「資格も取ったし、早くサロンを開いて軌道にのせたい」という方から相談をいただいて、実際にお話を聞いていくと、お店よりもご主人に認めてもらいたい、褒めてもらいたい、見返したい、というようなことが本質的な目的だったりすることもあります。自分の気持ちや欲求に正直になっていいし、正直にならないとエネルギー/力はわいてはきません。

「奇跡のコースのガイドブック」にも書いてありますが、「Xをやりたい。でもできない。なぜならば、Yだから」という言い訳は、「本当はXをやりたい。でも私にはこういう理由があってできない。だから、Yを選んでしまっている」というところに繋がります。

「本当だったら、会社なんかやめて絵を描きたいのに」といった時に、「なんで私はこの場所を選んでいるんだろう?こっちの方がやっぱり安全だと思っているからだな」っていうように認めることができれば、そこから出発できます。それを認めないで「本当は画家になりたいのに」~とやっていると、今度は画家になることがプレッシャーになって、「画家にならないと私自身になれない」「画家にならなければ人を見返すことができない」「画家にならないと私は駄目だ」というように、「画家になる」ということ自体が自分をおさえつける原因になってしまいます。もし、自分の心に何があるのかをそのまま見ることができれば、ほんとうに成りたい自分/成功した自分になることができます。11月のワークショップでは参加いただく皆さんに、さまざまなワークを通して、成りたい自分、時代に愛されるスペシャリストになっていただければと願っています。

 

Q 本当の自分と出合い、成りたい自分への道、スペシャリストとしての方向性を知るワーク、ぜひ、体験したいです。11月5日のワークショップであらためて先生にお会いできるのがほんとうに楽しみです。本日はほんとうにありがとうございました。