ACIM で言っているように、誰かを心配することは、その人の弱さに焦点を当てていることになるので、究極的にはその人を糾弾していることにつながります。そしてそれは自分自身の弱さを責めることにもなっています。大事に思うから心配するのに、そこにそんな力学がひそんでいるなんて、、、心のなかで起こっていることを無意識のままにしておきたくはないですね。
でも、「心配しない」ことと「そのことを考えない」ことは違います。「心配しない」というのは、その心配、心配している人や事柄を、心に住まわせ、受け入れ、その心配が心の愛に溶けていくまでずっと一緒にいることです。
病気だったり失業だったり、”一見心配なこと”、そして”実際、気にかけずにはいられないこと”を、わたしは長年いつもたくさん心のなかに住まわせています。”一見素晴らしいこと!””応援したいなとドキドキしてしまうこと”も、たくさん心に住んでいます。その住人たちと、毎日一緒に生きるようにしています。忘れないよう、祈っています。忘れると、自意識が頭をもたげてくるように感じるので、すぐわかります。
今日の写真は、ヴィジュアル・アーティスト、ライターの末田裕子さん。彼女が亡くなってから5年半経ちますが、今も毎日彼女はそばにいます。ますます近くなっているような感じさえ、します。
こんにちは
先日の「成田空港にて」の記事を拝読してから、「心が揺れるような出来事(常にそれは起こっているのですが)」に心を揺らさないようにすること、ということを考えていました。
クラスや分かち合いの場で、何度も聞き、自分でも考えてきたことです。
心が揺れた時に観察してみると「見て見ぬ振りをする」「聞こえなかったと自分に言い聞かせる」「そんなことで心を揺らす必要はないと思い込んでいる」ことが多く、これはどこか違うと感じていた時に、今日の記事がアップされていました。
コースとともにありたいと以前にも増して思うようになってきています。
それは、毎日を良くも悪くも心を揺らす出来事と一緒に、常に心の訂正をしながら瞬間瞬間を過ごすということなのですね。
「心が揺れない毎日」「晴れ晴れとした気持ちを何もせずとも持てる毎日」
そんな毎日はやっぱりエゴの考える生き方で、実際は、心を揺らす出来事とともに、心の訂正によってその都度得られる穏やかさを受け取って、私たちの本当の姿を思い出すことによって、結果的に晴れ晴れとした毎日になるのだろうとそんなことを考えました。
まとまりませんが、これらをホーリースピリットに差し出して、過ごしていきたいと思います。一人ではないことに感謝です。
いつもありがとうございます^^
Yumi さん、
コメントありがとうございます。
心の訂正は、「もうしなくてもよくなった」「ささっとできるようになった」などと言わなくてよく、時間をかけて丁寧にしていけばいいんですね。井上由紀子さんが示してくださったように、三段論法で書き出してみて、どこに勘違いがあったのか確かめることもときには必要だったりしますよね。時間はそのためにあるんですね。
晴れ晴れとした、今日1日にしたいです。一緒にいてくださってありがとうございます。
かさき