2. アクセル・アンダーソン Axel Anderson

アクセルをCRS のヒーラーとしてお招きして一年近くが過ぎようとしています。カウンセリング/ヒーリング・セッション、マッサージ/エナジー・ヒーリング・セッションの両方を通じて、彼の、神の教師としての揺るぎのなさと、よく鍛えられた心の筋肉をよくご存知の方々もいるはずです。彼が見せてくれるホーリースピリットの愛に包まれて癒された方々も少なくないはずです。彼を一目見るなら、「あ、イエス・キリストだ」と思うかもしれません。ふざけるのが大好きな、陽気な子どもだと感じるかもしれません。ストーリーテラーとしての天賦の才能に惚れ惚れするかもしれません。
アクセルのヒーリング・パワーは、一瞬たりとも影をひそめることはなく、
彼の身体がすぐそばにいなくても、彼の存在を知っているというだけで、ほんとうのことが思い出されてくる、正しい心に戻れる、という感じがします。
アクセルの教え、話、ヒーリング・セッション等は、これからも機会を作って、彼から直接みなさんにご紹介、経験していただきたいと思っています。このインタビューでは、彼の個人的な、あまりあるストーリーを、ごく簡単にご紹介します。

*Choose:  アクセル22歳、大学生。大きなハンバーガーにかぶりついている彼を前にして、友人が、「われわれはなぜ肉食をやめるべきか、なぜ菜食にすべきか」その理由を30近くも挙げて語った。アクセルは「なるほど」と納得した。翌日からアクセルは菜食の人となり、以来38年、菜食を通している。一方、友人のほうは未だ「菜食になるべきだ」と考えながら肉食を続けている。

*Guilt:  卒業後の仕事はソーシャル・ワーカー。ヘロイン中毒者のケアが専門。アメリカにおける黒人差別や、アメリカがネイティブ・アメリカンに行なってきた迫害に対して、白人として深い罪悪感を持っていた。困っている人、虐げられている人、苦しみを抱えている人を助けなければという使命に燃えていた。自分がなんとかして世界を救わなくてはと信じていた。ACIM でいうところの「レベルの混乱」があった。「僕の心は、”WHITE GUILT” でいっぱいだった」

*Choose:  1970年アクセル24歳。ベトナムへの徴集令状が届く。「人を殺しに行きたくない」「服役もしたくない」と確認したアクセルは、「人(社会)のゲームに参加して、人の都合に自分の役割を合わせるなんていうことは決してしない。自分は自分のゲームを生きる」と決意。アメリカの州から州へと旅を続けて住所を常に変更し、徴集から逃れる生活が始まる。

*Choose:  この決意は、同時に「自分のゲームに必要なものはすべて与えられる」ということをデモンストレートして生きる選択でもあった。「自分は自立していなくてはならない。自分は宇宙を信頼しなければならない。宇宙は食べ物と寝る場所とを提供してくれるはずだ」。ソーシャル・ワーカーの仕事をやめ、バックパックに数枚の衣服とほんの少しのお金(全財産)を持ち、ヒッチハイクの旅に出た。路肩で掲げる親指だけが生きる道具。その車の行く先が自分の行き先。食べ物は必ず与えられるはずだと忘れない「選択」、屋根もあるはずだと忘れない「選択」だった。そしてその選択通りの毎日が始まった。46の州のどこでも、彼は歓迎され、ベッドを与えられ、食事も与えられた。もちろん、彼も与えた。菜食の料理を作り、神を語った。(彼は神を擬人化してはとらえていなかった。だが宇宙のエネルギーはわかっていた。)ひとつの場所に一週間から10日、持ち金は全部置いて、通りに出、親指を掲げてはまた未知の方角に向かった。「これが、神の自由というものの、最初の体験だったな」

*Choose:  ニューオーリンズでアクセルはハレ・クリシュナに出会う。旅の日々を打ち切り、クリシュナ・テンプルでの生活に入った。彼はヨギになった。気がつくと、ハワイに暮らしていた。ハレ・クリシュナ、ホノルル・テンプル長としての役割を与えられていた。

*Choose:  クリシュナ・テンプルで結婚。「家庭というものを持ちたかったんだよ」

*Choose:  テンプルの外の生活が恋しくなる。妻とともにテンプル生活をあとにし、妻の故郷、ウィスコンシンの北部へ。10年間の、典型的アメリカ郊外生活が始まる。4人の子ども。安定した仕事。仕事は以前と同様、ソーシャル・ワーカーとしてドラッグ中毒者のためのケア。ドラッグは自分がさんざんやっていた。ドラッグを使わないでハイになる方法を教えてくれたのはハレ・クリシュナである。ヨガ、ダンス、チャンティング、笑い、瞑想、その他たくさんの方法を。「僕なら、ドラッグをやるときに、そこにある罪悪感、恥、やめるまでのプロセスがよく理解できる、彼らとよくコミュニケートできるという自信があったからね」。

*Tip:  アクセル自身が変化期を苦しんだ経験はない。菜食に変えるときもドラッグをやめるときも、心で決めて→実行、それだけだった。心を二つに分けないこと、いつも一つの心で生きること、それが分かってさえいれば「苦しみはあり得ないよね」。

*Choose:  彼はウィスコンシンの郊外での生活を窮屈に感じはじめていた。ヒッチハイクの2年半を経験している彼である。自由に路上に出たかった。彼は、家族を残し、家を出た。

*Guilt:  森の近くに借りた小さな部屋で、毎日、泣いた。床に突っ伏して、泣いた。恐ろしいほどの罪の意識だった。いたたまれない自己憐憫だった。2年たって、やっと、罪の意識を放ちやることができた。これが、彼にとっての、forgiveness の最初のステップとなった。

*Guilt:  1988年。新しいガールフレンドとの新しい問題が始まっていた。ある日オプラ・ウィンフリー・ショーを観ていたら、マリアンヌ・ウィリアムソンという女性が出演していて、ACIM という本について語っていた。「これだ!」と感じた。「僕はこれを<覚えているぞ>」と感じた。さっそく本を買ってページを開いてみたけれど、しかし、そこに見つけたのは、やっと逃げてきたカトリック教会の語彙の数々・・・罪、贖罪、啓示、審判・・・「こういうのは我慢できない」と、ACIM は部屋の隅に放り投げられたまま、その後、顧みられることはなかった。ちょうど十年間。

*Guilt:  1998年、アクセル、エモーショナル・クライシスに陥る。気分が最低に落ち込み、自分の人生は失敗だと感じ、<正気を保てないでいた>。十年来のガールフレンドとの関係で、別れてはヨリを戻すの繰り返し、三度目の同居を始めたときだった。

*Choose:  その頃ベスト・フレンドが、彼に ACIM を読むことを勧めた。今度は、ACIM は彼の心にすみずみに染みわたった。ガールフレンドとの関係を「完全に終わらせることができた」。罪悪感を覚えることなく、彼女のほうもすべてが終わったことを納得し、別れることができた。

*Interlude:  彼のベスト・フレンドは、どこから見ても超コンサバティブなおまわりさん。もちろん、常にピストルを肩身離さず身につけている。この彼が「フィアンセが実はセックス中毒で、彼の友人知人みんなと寝ていることを知って」「彼女を殺し、そして自分も死のう」とまで思いつめていたときに、友人の女性が「何もしないで。ただ、これを読みなさいな」と渡してくれたのがACIM だった。ACIM が彼に、許しをもたらした。だから、彼は自信を持って、アクセルに ACIM を読むことを勧めたのだった。

*Choose:  2001年2月。友人とウィスコンシンをドライブ中、<ミラクルズ・ヒーリング・センター>の看板を見た。後日寄ってみると、そこで話されていること、行われていること全部が ACIM の教えだということがわかった。その後現在に至るまで、彼が活動を共にすることになるACIM アカデミーとの出会いだった。当時、彼は<ドラッグを使わずにハイになる方法>を十代の若者に教える仕事、若者のドラッグ使用を止めるための大きな機関のプロジェクトの一員として働いていたが、休職願いを出し、その夏の三か月をアカデミーでの学びに費やした。ACIM と出会ってから、今まで彼がセラピストとして教えていたこと ー 自由や、恐れからの解放、笑いの効用 ー 、全部が小さすぎると感じるようになっていた。ACIM を教えよう!と思った。

*Choose:  2001年9月。ニューヨーク国連にて行われる、世界平和のコンフェレンスに参加。ボランティアリズムを提唱するイベントで、世界中から多種類のボランティアの若者たちが集合した。アクセルを含む、ウィスコンシンのACIM アカデミーのメンバーは、ここでブースを設け、 ACIM を布教した。9月の7日に始まったイベントの最終日、11日の朝、アクセルは「今日は国連には行かないことになるな。イベントは行われないはずだ」という感覚とともに目覚めた。事件の起こる2時間ほど前のことだった。

*Choose:  アクセルの ACIM ヒーリングは、このようにして、2001.9.11. のニューヨーク・シティで始まった。それは、ACIM ワークブック、レッスン14番『神は、この災害をお作りにならなかった。だからこれは現実ではない』の分かち合いだったとも言えるし、レッスン34番『この状況において、今見ていることの代わりに、私は平和を見ることができる』の分かち合いだったとも言える。そしてそれは、これらのレッスンがもたらすいくつもの奇跡をニューヨーカーとともに分かち合う経験であった。

*Choose:  アクセルはニューヨーク移住を決意。実現まで一年半を要し、2003年、彼はイーストビレッジに移り住む。2001年9月、コンフェレンスの際にACIM アカデミーのメンバーの宿となったのはイーストビレッジにあるクリシュナ・アシュラムだったが、そのときイーストビレッジの路上で「ここは以前住んでいたことがある」と感じた。未来の記憶を自覚したのである。2007年6月現在、アクセル60歳。ニューヨークでACIM を教え、また、彼にとっての9.11.の本を執筆する日々である。

ーーー今、学んでいること、まだ学ばれていないことはありますか。
アクセル「女性関係。これだけは、まだ学んでいない。女性とのロマンティックな関係に比べたら、ほかのあらゆる関係は、ほんとに、ほんとに、簡単だ」(笑)。
ーーーそれは、関係のなかに罪悪感が入ってくるということですか。ロマンティックでありながら、特別ではない関係、つまり罪悪感のない関係を持つ学びをしている、ということですね。
アクセル「そうだね。かなり学んではきているけれどもね。たとえば、相手が文句を言いはじめたら、もう我慢してそこにいるなんてことはしないよ。ただちに去るよ」(笑)。