5. きみの番

リルケというドイツ人の詩人は、自分を知る者の誰もいないパリに行き、日がな街を歩きまわった。自分は屑だ、この街も屑だ、とつぶやきながら、何日も、何週間も、あてなく歩いたということだ。
ヘンリー・ミラーというアメリカの作家は、やはり誰も知人のいないパリに行き、酒を飲み、娼婦を買い、孤独のなかで長く身悶えたということだ。
わたし、笹川美佳子は ー名前を挙げる価値などまったくないけどー 異国ではなく、馴染みの深いはずの、けれども今は友人ひとりさえいない東京を、こうしてほっつき歩いている。

この新宿高層ビル群の一角に、かつてわたしが勤務したオフィスがある。勤務先のレコード会社のデザイン部門だけが、地下鉄の駅ふたつを隔てたこの場所に移ってきたのは、都庁ができてまもない頃だったから、わたしはここに十年以上通っていたことになる。

大きく切り取られた窓が、わたしの机のすぐ後ろにあって、新宿西口公園の緑が見下ろせた。陽射しが背中に照りつけて、冬でも暑いくらいだった。
思いついて、小さな鉢を自宅から持っていき、棧に置いたことがある。芽吹いたばかりのアボカドの鉢で、日当り良好とは言えないわたしのアパートよりよく育つのではないかと思ってのことだったが、翌日、鉢は消えていた。田舎者はオフィスのデザインをぶち壊すようなことを平気でやるから困る、という声を女子トイレで聞いた。

わたしは今、そのオフィスが、このそびえ立つビル群のどちらに入っていたのか、何階だったのか、ということさえ思い出せないでいる。見上げても、冷たい風が頬を打つばかりでビルの見分けがつかない。
春の陽射しを感じるまでまだ間があるとはいえ、こんな晴れた日の午後には、階上の窓からは、かつてのように明るい光が降り注いでいるだろうと想像できるばかりだ。それにしても、たった四年前までの勤務先を見つけられないのはどうかしている。
上司からは大事にされたが同僚とうまくいかなかった、その日々を、意識がシャットアウトしているのかもしれない。

ビルの谷間を縫い、足は西口公園に向かっている。Takuと、一度来たことがある。噴水のそばに立ち、空を振り仰ぎ、オフィスを指差して、あそこに勤めているのよ、と会社名をあげたとき、へええ、かっこいいなあ、と彼は言ったのだった。

かっこよくなんてない。心のなかでつぶやきながら、はじめて手をつないだ。あなたが好き、あなたが好き、あなたにどこまでもついていく、と彼の手のひらに懸命に伝えていた。
五年前。この公園の裏のホテルで、トランペット吹きの彼は、いちファンだったわたしと寝て、パリ行きの夢を語った。さらにはベッドでリルケの詩を読んでくれた。
それが彼にとっては大きな失敗だったということをわたしが知ったのは、彼を追いかけてパリで再会したときに、彼があからさまに迷惑顔を見せたからだった。
四年暮らしたパリでは、ぶらぶらと街をうろつくなんていうことはしたことがない。

心のなかは、彼に追いつくため、彼の気をひくために何をしたらいいか、どこに行けばいいか、いつ電話したらいいか、次はいつ彼に会えるか、ということでいっぱいだった。
OL 時代の貯金はあっという間に底をつき、ジプシーの多い地区のただ中の、就業時間に融通のきく中華料理の安食堂で長時間働かなければならなかったし、写真学校に行かなければならなかったし、デジタルカメラを買わなければならなかったし、Takuがライブをするときにはチケットを買って、聴きに行って(それがパリ以外の街であっても、あるいはスペインやオランダであっても、交通費を費やして)、彼の晴れ舞台を誰よりもうまく撮影しなければならなかったし、何千枚とシャッターを押したデジタル・フォトを、散財して焼かなければならなかったし、上限まで行き着いた借金の額と取立てに怯えていなければならなかった。

なんて忙しい日々だっただろう。パリの風景も、人の姿も、だから、わたしはいっさい覚えていない。北の中華料理屋から、急いで街を駆け下りて、セーヌを渡り、サンジェルマンの、観光客でごった返す通りのジャズクラブに飛び込んでいくときも、公演後、Takuに冷たく追い払われ、今度は人けのない暗い通りを、ひとり西へ進んで小さなアパートに帰り着く午前四時も、期待と不安、情けなさ、みじめさ、絶望と自己憐憫にまみれていたから、何も目に入っていなかった。

わたしはただ一冊の文庫本だけをいつも手元に置いて、パリで孤独だった人たちのエピソード集を唯一の友のようにして暮らしていた。
その有名人(パリでの孤独の後、成功した芸術家たち)の一時期を心の拠り所とするならば、わたしもまた成功を夢みているはずだった。
Takuが、ソルボンヌ大学で日本文学を教えているというフランス女と一緒に住むようになってから何かが変わった。彼がわたしを振り向いてくれないのは、わたしが中途半端だからだ、一人前になり、成功し、ほんとうに「かっこよくなれば」戻ってきてくれるはずだ、と信じて、写真家としての成功を目指そうと考えたはずなのだったが、Taku というトランペット吹きを撮るという目的が失われてからは、写真というものへの情熱も野心も、もともとなかったのだということに気づかされてしまった。

五千枚以上のショットのなかから念入りに選び、ライブの日にちも場所も記して、心をこめて作った彼のライブ・フォト・アルバムは、「ありがと。彼女と一緒にざっと見せてもらったよ」と一言で片付けられ、ついには「今後自分の前に姿を見せたら警察に連絡する」とまで言われた。ビザも切れ借金だけが残ったパリをあとにして、帰国し、馴染みの深いはずの東京という地で、わたしは異邦人の心に押しつぶされそうになりながら、彷徨い歩いているのだった。

この世に、彼を求めるという情熱以外、生き甲斐になり得るものなんかなかった。仕事や、写真や、ほかの男性を試してもみたけれど、彼への想いに匹敵する力は、どこからも湧いてこなかった。わたしには、ほんとうに、彼しかいなかったのに。
公園の広場まで来ると、彼と座ったベンチが、それだけは鮮やかな記憶で、視界に浮かび上がった。鳩が何羽も、まわりをせわしなく歩いていた。

ベンチに腰を降ろす。すると、つい先ほど見つけられなかったかつてのオフィスが、くっきりと目のなかに飛び込んできた。空高く、きらめいて、窓が陽射しを反射して光っていた。
そうだ、五年前、ここからTakuに、あの窓を指差したのだった、と思い出したその瞬間、全身が締めつけられるような、血液が凍りつくような、激しい痛みに襲われた。五年という時間が、一気に戻ってき、 全身をひたし、そして地面にしみ込むように、流れ落ちていく、そんな感じ。同時に、Takuという存在もまた地下深くに消えていく、身体が切り刻まれるような感覚に、気を失いそうだった。

彼はわたしを愛さなかった、と、はじめて、心が理解したような感じがした。わたしは彼を振り向かせることができなかった、わたしは彼を、生きる理由にはできなかった、と心が、やっと認めた。
今、わたしには何もない。誰も、何も、持っていないわたしが、ここで、こうして息をしている。

冷たい風が頬を打つ。絶望するということは、このように、清々しさにも似た感覚のものなのかと、驚いていた。彼方から、リルケの魂が、やっときみの番だね、絶望して歩いてごらんと囁いているような錯覚があって、その声が、甘く優しく聞こえたので、また驚いた。

(初出誌 MY LOHAS 2006年3月号)