4. ラリオの愛

信彦さんが文恵さんに指輪を贈った日のことを、わたしはよく覚えている。
ふたりがレストランから出てくるのを、わたしは木陰から見守っていた。国道沿いの、しゃれてはいるがカジュアルな店は、ふたりの行きつけだった。手をつないで出てくるのもいつものことだったが、文恵さんの手に、少しためらいがあった。
夜更けだが、空が青く感じられた。店の前の駐車場がハロゲンランプの街灯に照らされていた。店の入り口の階段脇にハロウィーンを迎える飾りつけがあり、まぶしい光にさらにオレンジ色を加えていた。
三段の階段のまんなかで、文恵さんは立ち止まった。つないだ手をほどき、胸の前にかざした。

わたしの位置からでは、婚約指輪はでは見えなかった。たっぷりした明かりの中で、ただ一瞬、白くきらめいただけだ。
彼女は、その手を彼の手のひらのなかに戻す代わりに、もう片方にぶらさげていたヘルメットを持ち替えた。そして階段を、もう一歩降りた。振り返らず、わたしのほうにも視線を向けず、まっすぐ煙草の自動販売機に向かっていった。
わたしは彼女の指輪をなんとか視線にとらえようとしたが、ヘルメットのなかから焦げ茶の革のグローブが覗いて、邪魔をした。

信彦さんがそのオパールの指輪を買ったのを、わたしは知っていた。彼女の十月の誕生石だ。濃い青の地色に、緑や黄色の鮮やかな班が現れる大粒のブラックオパールがダイヤモンドに囲まれている。モトグッツィの中古が一台買えてお釣のくる、たいそう高価な指輪だった。
リングはね、実はあんまり好きじゃないの。彼女が言ったことがある。特に大きな石のついたのは自分向きではない、と。なぜならオートバイに乗るときに、グローブのなかで窮屈だからなのだった。指輪の突起がグローブを突き上げて、革を痛めることにもなる。

文恵さんはジュエリー・デザイナーだが、独立して自分のブランドを
持つだけの自信と勇気が持てないでいる。大手の会社の、安物大量生産のアクセサリーを作っている。給料がなかなかいい。それが辞めて独立できない言い訳のひとつでもあった。
結婚でもしたら、コトブキ退社で、こつこつほんとうに作りたいもの作ろうかなあ。いつものように煙草をふかしながら、信彦さんに言っていたのをわたしは覚えている。信彦さんが塗装屋で働き始めたばかりの頃だったから、五年前のことだ。
文恵さんは五年も待ったのかと思う。待つ時間としてはじゅうぶん過ぎるほどだ。
ふたりはいずれこうなるだろうと予感していた。なにより文恵さんは、ツーリング仲間のうちでも、信彦さんにいちばんその「腕」を買われていた女性だったのだ。

ふたりは、軽快なVツイン・コンビだった。信彦さんは、まず自分のモトグッツィ・ラリオの塗装に、腕をふるった。透明感のある青むらさきに、鮮やかなグリーンとレモンイエローの直線が並んで走っている。文恵さんのSVには、あたたかいイタリアンレッドを下敷きに、限りなく黒に近い濃紺を、丸みのあるラインで入れてある。深いバンクをらくらくこなす文恵さんを、ツーリング仲間はてんとう虫と呼んだ。彼女が緑したたる山麓を走り抜けるとき、てんとう虫がさっと視界を過ぎていくかのように見えたのだ。
てんとう虫が蛍を追い抜いていくよ。
信彦さんのマシンを蛍に見たて、からかった者もいたが、文恵さんは彼のホタルも、よく乗りこなした。自分の400ccは普段のアシとして、革をまとって本格的に走りにいくときは、なんとかしてホタルと交換してもらおうと甘えた声を出してねだったりもした。

それにしても、なぜ結婚することと、自分が作りたいジュエリーを作ることが関係あるのだろうか。頭のなかでは、うまくプランを立てているつもりかもしれないが、その実まったく意味をなしていない、とわたしは思う。自分にとってほんとうに大事なものがよくわかっていないとき、人はこんなふうにお互いに関係のないものごとを組み合わせて、納得したふりをするものだ。文恵さんにはそういう癖があるように、わたしには感じられる。
文恵さんが、どんな想いで今、指輪をはめているのか、遠目に表情は読み取れない。信彦さんのほうは、階段の真ん中に立ったまま、彼女の後ろ姿を眺めていた。朗らかな、あるいは、さばさばした様子に、わたしは少し鼻白んだ。

彼は家業を継がず、塗装に自分をかけてみるつもりだったのだ。彼の師事する塗装屋のオーナーは、気難しく、納品日を守らず、マイペースを貫くタイプだが、発注者が思いもつかなかった微妙な色合いを加えて、実に優雅な、オリジナルな四輪車、二輪車を完成させるので、大きな稼ぎにはならない代わりに、業界では名が通っていた。信彦さんは、そのオーナーに倣い、また乗り越えたいとひそかな野心を持っていた。ところが父親のパーキンソン氏病が進行し、家業を押しつけるつもりだった弟が法科大学院に合格し、等々の事情が次々と重なるうち、家内操業の看板屋を継ぐ条件で、親の買った実家兼工場の向かいのマンションに管理費のみで入れてもらい、結婚のもろもろの費用も親の援助で、という歩み寄りがあった。
それを受け入れたことで、まるですべての問題が一挙解決に持ち込まれたかのように感じているふしがある。

信彦さんはジーンズのポケットを探り、オートバイの鍵をつまみとった。そして、ゆっくり、植え込みの陰からほんの少し顔を出しているわたしを、見た。いつもの、潤んだような両の目と、ほんのり笑った口もとを見せた。君との関係は、それでも変わらないよ、とでも言いた
げな。それもおおらかな、無邪気な表情で。けれど、彼が階段を降りて、大きな偽パンプキンが内側から放つオレンジ色が彼の頭部と首のあたりを包み込み、まるで顔全体が燃え立つかのように見えた瞬間、わたしは確かに、ひとつの時代が、彼とわたしの愛のときが、終わりを告げたのだということをきりきりする胸の痛みとともに知ったのだった。

愛のとき、信彦さんは多彩な表情を見せる。
前の恋人は、いつも射るように見つめている人だった。低く呻いた。腕も、肩も、背中も、張りつめて、固かった。ゴールに向かって一心不乱に駆けていく感じがした。そしてテープを切ると、ふううっと息を吐き、口の端をほんの少しほころばせてわたしに微笑むのだった。
そんなとき、右にえくぼができて、それがわたしを幸福感で満たした。彼を思いきり抱きしめ、挟み、噛みつきたい衝動が、またしても突き上げてくるのを抑えられなかったことを、今でもときどき、似ている背中を路上で見かけたときなどに、なつかしく思い出すこともある。

愛とはそういうものなのだと思わせられていたが、信彦さんはまるで違っていた。
思いつめたようなまなざしが、とつぜん微笑みに変わり。吐息が弾ける笑いに。敏捷な動きが急に静止し。何ものかに急かされて、力まかせにわたしを握りしめたかと思うとぐったりと身を預けてため息をついた。長い沈黙ののちに歌い出した。よくしゃべった。独り言のような、
同時に叙情詩を読みきかせてくれているかのような流れるリズムで。

彼は、終始、リラックスしていた。急ぐということをしなかった。快楽の頂上を求めなかった。わたしも、どこにも力を込める必要がなかった。すっかりすべてを任せていると、自然に脚が曲がり、手がまさぐり、唇が欲しいものをとらえた。
彼の指先が、わずかな風を起こす。その風に、わたしの肌は、いとも簡単に、つるりと剥ける。剥いても、剥いても、際限なく新しい肌が生まれてくる。
これが、わたしにとって愛の行為になった。相手に応えて新しい自分が生まれてくることが。応えても、応えても、限界のない力の源を発見するということが。
「いい声を出すね」。彼のささやきが、今でもわたしを熱くする。「君って、無防備なほどオープンで言いなりになるように見えてさ、そのくせ超然としてるんだなあ。君を抱いていると、地べたからすくい上げられて、宙を自由に飛んでいるような気持ちになるんだよ」
わたしの髪を撫でながら、つくづくと言った。
「でも、こうして満たされている君の顔からは、年齢も、教養も、性格も、過去も、すっかり消えてしまっているよ。ただここに存る、っていうふうだな。君は、完璧だよ。カンペキ」
わたしはその声に応えて、誇り高く肌を輝かせたものだ。そのように見てくれる人がひとりでもいたならば、たとえひとりぼっちになっても、愛の記憶に生きていけると思った。彼がそっくり同じ文句を、文恵さんに書き送り、プロポーズしたということを仲間うちの噂で知ったのは、ずいぶんあとになってからのことだ。

信彦さんと文恵さんが、その頃どんな愛を交わしていたのか、わたしが知る由もない。ほんとうに文恵さんが、彼を地べたからすくい上げていたのかどうか知らない。わたしのように完璧だったのか。わたしのように超然としたものを彼と分かち合えたのか。
わたしが知ったのは、結婚後、ふたりの関係が急速に悪化したということだった。はじめは、たぶん、彼の家業の多忙さのせいで。まもなく、ビジネスが厳しくなり、やりくりに苦心するようになったために。そのうえ、日常生活がままならなくなった父親の介護問題があり、さら
には信彦さんが特に慕っていたお祖母さんの老化も加わった。九十一歳の彼女は、火事いっさいを引き受けるばかりか、曲がった腰に大きな盆を抱え、工場に夜食のおにぎりを運んでいたが、息子の病の心労で、寝込むことが多くなった。

文恵さんのほうは、昇進し、ますます多忙になり、退職どころではなくなった。少しでも暇があると工場の手伝いや家族の世話に駆り出されるのではと用心しているようでもあった。週末も、残業だと言って終日出かけていった 。
新妻がそんなふうだったおかげで、信彦さんとわたしの関係はひそかに続いていた。小さな工場に日曜はなく、丸一日の休みのとれることは滅多になかったが、その貴重な日を、信彦さんはわたしとの密会に使い、そしてわたしは、その日を、ひたすら待ちこがれているのだった。

あの頃は、待つことがまだ苦痛ではなかった。逆に、待つ時間が、わたし自身を引き締め、自分とは何かをはっきりと思い起こさせてくれたと思う。
自分とは何か。
信彦さんを、つまり世界を受け入れる器だ。
信彦さんのからだの、ほんの少しの動きにも感じて震える弦だ。
信彦さんのたましいへの限りない信頼だ。
愛する人と完璧な時間を分かち合うために存在する、それがわたしだった。
そしてまた、わたしは、信彦さんを生かす大地だった。
彼がわたしの腋の下に口づけたとき、そこに花が咲いた。
腰骨を噛んだとき、その周囲が掘り起こされ、耕され、やわらかい、ふかふかした沃土ができた。
だからわたしは、信彦さんがわたしの上で泣いたとき、うれしかったのだ。彼が水を撒いてくれている、と感じて。わたしという土地に、潤いと、鮮やかさと、滋味のある香りを与えてくれているのだと。胸の間に、へそのくぼみに、水たまりができた。いつもの汗とは違う、せつない匂いがした。

お祖母さんが亡くなってまもなくのことだ。わたしとふたりきりになってすぐ、彼はしくしくと泣き始めた。涙は枯れず、やがて、ああ、ああ、と声を出した。お祖母さんの死が、彼の感情に揺さぶりをかけていた。
この頃までに文恵さんは退職していた。てんとう虫も売ってしまっていた。嫁としての役目から逃げ切れなくなったのだ。そして夫婦の喧嘩が絶えなくなった。あれこれの鬱屈を、信彦さんは、たぶん文恵さんの分まで背負い、わたしに吐き出しているのだった。

変化の風は、誰にでも吹く。風をコントロールすることはできない。わたしたちは、その理由をわからぬままに、行き先を知らず、風に吹かれて動いてゆく。それが生きるということだ。別れも命のひとつ。死もまた変化のひとつ。体験し、多彩を歓び、そして命の海に、肉体を離れて戻っていく。それがわたしたちなのよ。
何があっても大丈夫。わたしがそばにいる限り、あなたを地べたからすくいあげてあげる。
そんなふうにわたしの心は、しんと静かで、なお満たされて、信彦さんの涙を受け止めたのだったが、その後、彼が密会をすっぱりやめてしまうと、わたしは、自分の生死も曖昧になるような、ぼんやりした、あやふやな、弱い存在に、あっけなく堕ちた。

信彦さんはわたしを完璧だと言った。けれど、いえ、完璧だからこそ、わたしは触れられたい。揺さぶられたい。ふたつのからだの輪郭が消え、ふたつの魂が溶け合い、お互いの姿が見えなくなる。その一体感を味わいたい。それがなければ、わたしは生きていけない。愛の記憶で生きていくことはできない。
信彦さんは、オートバイを、バンとクーペが並んで駐めてある大きなガレージの片隅に、置きっぱなしにしていた。
それでも、ときおり、ウェスと工具を使って手入れをした。たいていは、何かむしゃくしゃしたことがあったときだった。特に夫婦で口をきかない日が続いているときなどに。
ガレージの壁に、二十センチ四方の穴が開いていた。トタンの屋根にも小さい穴がいくつか点在していた。
磨かれたばかりのマフラーに、穴から漏れる光がいくつものスポットを作っていた。
「しなきゃいけないことが山ほどあるんだよ」
信彦さんは、ため息をついた。
彼にすべきことがあるとしたら、わたしとの愛のときを取り戻すことに違いないのに。そうでなければ文恵さんとの。
マンションのローンや、ガレージの改装や二世帯住宅に関するごたごたした主張や、出産計画や、介護保険や、バンの買い換え問題やらで大騒ぎをする前に。大事なものと、ほかの何かを混同する代わりに。

長い、酷暑の夏、わたしが信彦さんに会うことは、ついに叶わなかった。時折、姿をちらりと見かけるとき、彼の頬に丸みがついているのが目立った。背中にも、綿をつめたような、柔弱な雰囲気が漂っていた。からだに丸みがつくほどに、心がひらべったく見えた。
夫婦の間に、決定的な深い溝ができていたらしいということを知ったのは、小学校の運動会の音楽が高い空に響き渡る日曜日だった。学校は川の向こう側にあるのに、音は割れずにくっきりと届いた。九月の末の台風のおかげで、空気がことのほか澄んでいるからかもしれなかった。

ふたりが、珍しく連れ立ってマンションから出てきた。白いソックスにサンダルをつっかけ、ビニールのパーカを羽織った信彦さんは、やけに老けて見えた。
文恵さんはオーバーサイズの丈の長いワンピース姿で、素足にスニーカーを履いていた。腕組みをし、一歩下がってついていった。
ふたりがわたしの姿を見たら、やはり変わり果てたと感じるだろうか。たった三年。この短い年月で、わたしたちは、これほど違ってしまうのだ。
ふたりは工場のガレージに入った。
わたしの胸に刺すような痛みが走ったのは、信彦さんがラリオを覆っているカバーをはがしたときだった。
マシンを手放すことにしたのだと直感した。
口が、からからに乾く。腹に重い石を抱えているよう。
「あたしはやり直したいのよ。ちゃんと向き合いたいのよ。あなたと一緒にやっていきたい。工場で働くのがいやだって言ってるわけじゃないのよ」
文恵さんの低い声が、ガレージに響いた。
「ホタル手放したら、もうノブちゃんじゃなくなっちゃうよ」
信彦さんは答えない。無言でマシンを外に押していく。
「ねえ、ノブちゃん。あきらめないで 」
文恵さんは、すがるように、その背中に声をかける。
「べつにあきらめてるわけじゃないさ。何をあきらめるっていうのさ」
信彦さんは、ジーンズのポケットに両手を突っ込み、空を見上げて言った。さわやかに聞こえるその言い方が、三年前の同じ季節を思い出させた。文恵さんに婚約指輪を贈ったあとに、わたしに見せたさっぱりした表情を。蓮っ葉な印象を。

信彦さん。わたしも叫びたかった。彼を揺さぶりたかった。どんな人間も、簡単に堕ちる。老けて、計算高い、弱い存在になる。そしてどんな人間も、いつでも超然と輝ける。自在に動く、しなやかなからだを取り戻せる。大事なものを忘れなければ。
離さないで。あなたの大事なホタルを手放さないで。
トラックがやってきた。マシンを積み、去っていくまで、わたしは唇をかみながら、遠いスクリーンを見るように、彼の顔を眺めていた。

翌日の早朝、文恵さんはひとりでガレージに行った。
棚にのったヘルメットを、カバーから出した。
その手には、オパールの指輪があった。
バスに乗って指輪を売りに行き、その足でオートバイのディーラーに駆けつけた。
彼女は、ラリオを買い戻したのだ。
店は、公園に面した通りにあった。乾いた風が、公園の色づいた樹々を伝って吹いてきた。風は、路上に押されてきたマシンを、やさしく撫でた。
数歩離れたところに立ち止まり、見つめる文恵さんの姿に、わたしは熱くなる。

彼女はこんなに背筋のシャンと伸びた人だったか。これほど気高い顎を持った女性だったか。こんな強い光を、彼女の眼は持っていたか。
そうだった。驚くにあたらない。人間とはそういうもの。心に抱くものが、その人に気品を与えもし、また卑しくも見せる。
彼女は今、ほんとうに大事なものを心に描いているに違いなかった。
オートバイとの日々、信彦さん、わたし、大勢の仲間たちと走った日々。あのように、光のなかに飛び出していくことを許され。陽射しの匂いに包まれて、ふうっと長く息を吐き出し。ヘルメットを枕に草地に長く寝そべり、大あくびをし。あの誇り高い日々が、はじめて、くっきりと像を結び、よみがえっているのだ。

エンジン音に包まれ、温度を感じ、匂いをかぎ、過ぎゆく景色を視界の端に、アスファルトの彼方を見つめながら走るときに経験する、静止を、つまり永遠を、今はじめて思い出し、そして理解したのだ。
高く晴れ渡った空の下で、ラリオの青は、もはや夏のホタルのようには見えなかった。鉱物が地下深くから掘り起こされ、磨かれて、凛とした輝きを空中に放っているかのようだった。オパールの輝きがそこにあった。
「あなたを失うわけにはいかない。信彦さんも、わたしも、あなたを忘れるわけにはいかない」
文恵さんの心の声が聞こえた気がした。彼女はそれほど、わたしの近くにいた。
戻ってきたのだ。大事なものを、彼女は思いだしたのだ。
鼓動が高鳴っている。彼女の? それともわたしの?

彼女はゆっくり、シートにまたがった。
からだの重みに、車体がほんの少し沈む。
ヘルメットはまだ被らず、腹の前に抱えたまま、イグニションにキーを差し込んだ。
エンジンがまわり出す。
マシンの震えが、彼女の腰を突き上げた瞬間、彼女の目から涙があふれた。
忘れていた振動。
なくしたことを気づかずにいた生命の力。
これだった。彼女の心の声が、今やわたしの全身に響き渡る。
かくんと、彼女の首が垂れる。嗚咽した。
わたしも泣いた。彼女の両脚にはさまれ、その重みと体温を胴体に感じ、わたしは声をあげた。文恵さんがアクセルをふかしてはしゃくり上げる、その感泣に応えて、わたしはさらに吼えた。

(初出誌 MOTO NAVI 2004年 秋号)