44.完璧なしあわせ

誰にでも、「こうなったらいいな」「あれが手に入ったらうれしい」「せめて◯◯ができたら」といった望みがあるでしょう。そしてその望みは、長年同じものもあるかもしれないし、その都度書き換えられるかもしれません。長年同じ望みがある場合は、その望みが、長年にわたって叶えられていないということになりますし、その都度(年々でも、日々でも)変わるというのは、こちらの願いが叶っても、あちらが立たず、ということ、いつまでたっても、「足りない部分はある」ということになります。
これは、どういうことなのでしょう? 人生とは、そのように、いつも「足りないところ」を自覚しながら、そこを埋めていくために費やされる時間なのでしょうか?
望み方、願い方がどこか間違っていて、時間を無駄にしているということは考えられないでしょうか?
願うときはもっと欲張りなさい、ということを聞いたことがある方は少なからずいらっしゃるでしょう。欲張っていない、ということは、願い方こそに、足りない部分がある、ということです。
そこで自問してみましょう。
「今まで、自分は、完璧なしあわせを心から願ったことがあるだろうか」と。
わたしの願い方は、「せめて〜が欲しい」といった、かなり遠慮深いものではなかっただろうか、と。
「そもそも、自分は、完璧なしあわせがあり得ると信じているだろうか」とも。
わたしたちは、信じていないものを目撃することはありません。実際、ひとりひとりが日々経験することは、自分が信じているものだけなのです。完璧なしあわせはあり得ないと信じていれば、自分も、この世の中も、人生そのものも、確かに不完全だという経験を必ずします。
完璧なしあわせが、他の人にはあり得ても、自分にはない、自分自身が完璧でないから、と信じていると、自分が完璧ではない証拠を見続けることになります。
ということは、人生経験のあり方を変えるには、心に持ち続けている信念を変えればいいのではありませんか?
「わたしは、完璧なしあわせを願っています」
そのように心のなかでつぶやいてみて、どんな気持ちが湧くか、観察してみましょう。信じていないなこんなこと、と思っていることに気づいても、いきなり信念を変えるのは簡単ではありませんから、当然と受け止めましょう。そして、
「わたしが、完璧なしあわせだけを願えるように助けてください」
願いを、祈りに変えてみましょう。誰に祈るのか? 宇宙の叡智に。神に。天使に。スピリットに。何にでもかまいません。自分の心が、完璧なしあわせを信じられるならば、それは来る、だから自分がしなければならないのは、心のなかにある信念を変えること、祈りによって変えてもらうこと、と、思い続けることこそが、鍵なのです。
そのように祈るとき、キャリアのこと、結婚のこと、ダイエットのこと、健康のこと、子育てのこと、家族のこと、等々の、今までと同じようなあれこれの願いがぐるぐるとまわりながら迫ってくるようなこともあるかもしれません。それはそれで構いません。というより、あれこれの具体的な願いがこんなにもたくさんあるのかと見渡してみてください。そして、
「こういうもの全部をひっくるめて、完璧なしあわせが欲しいのです。完璧にしあわせな人生を経験したいのです。助けてください」と祈りましょう。

ニューヨーク、グラウンド・ゼロに、9.11.メモリアル・ミュージアムがオープンしました。2001年アメリカ同時多発テロ事件から、12年半の年月を経ての完成です。
このミュージアムは、テロ事件の悲惨さを訴えるだけのものではありません。世界がどのように動きこの事件に向かっていったのか、どのようなドラマが各地、各人に展開されていたのか、そして事件のそのとき、現場で、周囲で、世界で、犠牲者のそれぞれ、残された者のそれぞれに何が起こっていたのか、ということを、人の手の温かさを伝える展示物 および、最先端のマルチメディアを駆使して伝える、見事な、そして巨大なものです。
ワシントンD.C. のスミソニアンのなかに、ホロコースト・メモリアル・ミュージアムがオープンしたのは1993年でしたが、そのときも、その多角的なアプローチと資料の膨大さ、マルチ・メディアの駆使に度肝を抜かれる思いがしたものでした。ミュージアムの見事さに感心、感嘆したということ以上に、それだけの予算を投入できるということへの素朴な驚きがあったのです。9.11.ミュージアムは、それに勝るとも劣らない充実ぶりを見せています。
さまざまな工夫が凝らされているので、なおのこと、館内では、大勢の人々の悲しみ、絶望、怒り、恐れ、勇敢さ、無私の心、寄り添う心が、ダイレクトに迫ってきます。どれほど長く、大きな、そして大勢のドラマが展開されたかが、くっきりと浮かびあがってきます。
オープン直後に訪れたわたしは、そこで、そのドラマの波に呑み込まれそうになり、自分に問い直さなければなりませんでした。
「わたしは今、ほんとうに完璧な幸福があり得ると信じているだろうか」「これほど膨大な、”不完全な”世界のドラマを繰り広げてしまっているわたしたちが、完璧さを経験することができる日が来ると、わたしは心から思えているだろうか」「それだけを信じられるよう、助けてください」と祈りました。
聞き届けられたようです。ドラマに巻き込まれた当の人々の魂に、です。
わたしが疑いのなかに引きずり込まれようとしていたのは、亡くなった方々の写真がずらりと並んだ部屋のなかでしたが、そこに充満している、その方々のエネルギーが、「あり得るどころか、今ここにありますよ」と返してくれたような気がしたのです。わたしたちは悲惨な犠牲者ではありません、と彼らが言っているように感じました。「わたしたちの心はあなたと共にあります。わたしたちは、共にいるとき、完璧さを見るのです」。
どんなドラマのなかにも、人の心があるのでした。そして、人の心は、ばらばらで孤独であれば不完全だけれど、共にあるなら、そこに安心と愛が、つまり完璧さが見えるのでした。
大事なことを確認させてくれたミュージアムに、感謝しています。

(初出誌 Linque Vol.45   発行:国際美容連盟2014年7月)