34. 飛翔する春に

人を好きになるということは、食べたり、読書したり、泳いだり、眠ったりするのと同様に、誰にとっても自然なことでしょう。
そして、食べ方、本の読み方、泳ぎ方(泳げる、泳げない、泳ぐのが好き、苦手、等々)、眠り方が人それぞれ違うように、人を好きになる仕方も、千差万別でしょう。
どんな人を好きになるか、どんなふうに好きになるか、好きになったらどうしたいか、どんなふうに愛し合いたいか、人によってさまざまであるばかりでなく、人生の、そのときどきで違ってくるかもしれません。満月と新月、朝と夕でも気分は変わるものですし。
恋のきっかけは何でもいい、何でもあり、なのです。わたしたちは、お腹がすいてご飯を食べるのと同じように、恋をするようにできているのです。
けれども、なぜわたしは今晩、ブランデーをひとふりしたマッシュルーム・ソースを作ってパスタにかけたのでしょうか。パルメザンチーズを食卓で削って。ポロ葱のヴィシソワーズを添え、サラダにはローストした赤ピーマンを色鮮やかに。
お腹がすいたから、それだけの理由で、こんなふうにキッチンでこまごまとしたことをするでしょうか。
わたしたちが料理をするのは、空腹だからではありません。食卓に向かうとき、わたしたちは、お腹を満たすためというのではない目的を持っているものです。空腹を満たしたいという身体の欲求を、別の目的のために使っているはずです。
リラックスしたい。誰かと親しく時間を過ごしたい。おいしい料理で彼の気持ちを惹きつけたい。家族の絆を強めたい。クリエイティブなことをしたい。あるいはまた、お酒をおいしく飲むためのお料理を、というように。
人を好きになるときも同じです。発情という身体の仕組み、ホルモンの働きを、わたしたちは別の目的のために使おうとします。
安心したい。信頼したい。受け入れ合いたい。ひとりぼっちじゃないと感じたい。情熱を燃やしたい。共感し合いたい。持てる能力を誰かのために使いたい。そして、そう、愛を分かち合いたい、ひとつになりたい、わたしたちはひとつなのねと共に確認し合いたい、相手の魅力を自分の内に宿したい、自分自身の輝きを相手の中に見つけたい。。。それらのことに、恋を使おうとしているのです。
使おうとする、という言い方をするのは、誰でも、いつでも、どうしたってそのように向かってしまうものであるし、同時にまた、願ったようにはなかなか使えない、使えきれないものだからです。
わたしたちは、身体を使い切ることが、なかなかできません。身体が提供してくれるたくさんの「飛翔」の機会を、取り逃がしてしまっています。
それは、毎日の料理ほど容易いものではありません。好きな人とひとつになるということは、セックスすればすむことではないのですから。
どんなにきつく抱きしめあっても、身体はそのまま、ふたつです。二人がひとつになるためには、ふたつの身体を持つふたりが、身体を超えて飛翔しなければなりません。

たとえば、自分は両親の精子と卵子から生まれてきた、と考えていると、身体を超えることはできません。そうではなくて、両親の精子と卵子を使うことを選んで、自分はこの地上にやってきた、と考えるとき、その人は、たった今、自分の心身を熱く焦がす、あの人への恋を使って、心を身体から自由にすることができるのです。
それまで、両親の子どもであった自分が、宇宙の自由な魂となる、そのように自覚する決定的瞬間です。宇宙への飛翔です。
わたしは飛翔したい。
でも、怖い。
それが、わたしたちの、愛すべき恋のトライアルと言えないでしょうか。
恋愛に悩むあなたがつらいのは、あの人が自分だけを見てくれないからではなく、あの人の態度が不安定だからでもありません。なんとかしてひとつになりた。溶け合いたい。お互いに頼って、支え合って、ひとつの道を歩きたいと願っても、自分と相手が、別々の異なった存在、ふたつの身体に入ったふたつの存在と決めつけているなら、ひとつになるという願いは叶いません。
なんであれ、人生で経験することは、心が決めているものを映し出す鏡だからです。あの人はわたしとは違うと決めていれば、二人の関係はそのようにしか経験されません。また、自分の幸せは彼次第と信じているなら、その信念自体が自分を苦しめます。
わたしたちが怖がっているのは、相手の態度ではなく、人生に何が起きるかでもなく、自分に深入りすることなのです。つまり、身体に閉じ込められているのではなく、自由自在に息づいている自分、たった今、この心が持っている限りない力に気づくことをためらっているのです。
人を責めていれば、自分に深入りしなくてすみます。相手の動向を追いかけて、自分の心から眼をそらしていれば、心の実態を、ほんとうの姿を、自分のなかの有り余る力を見ないですませられます。でも、相手を熱烈に想う気持ちは、恐怖心を捨てて、自分に力があると認め、宇宙の自由な魂だと受け入れること、自由に飛翔することを自分に許す絶好のチャンスをくれます。そしてそれは、恋だけではありません。昨年2011年に、わたしたち皆の心にあふれた、助け合いたい、人の役に立ちたい、傍観者ではいられない、という気持ちもまた、飛翔の始まりです。
大きな羽根を広げて、力強く羽ばたく春を迎えましょう。

(初出誌 Linque Vol.35   発行:国際美容連盟2011年12月)