30.自由を楽しんで

わたしたちが耳にすることは、何であれ、自分が自分をどう思っているかを教えてくれます。わたしたちは、自分が聞きたいこと、聞こえるはずだと信じていることだけを聞くからです。自分の人生に現れた人はみな、自分を映し出してくれる鏡だということ、たった今、自分が自分をどう見ているかを正確に教えてくれるために、“神さまが贈ってくださった”人たちだということを、前号で述べました。
「自分を好きになれない」と思っていると、目の前にいる人は、「わたしはあなたのこういうところが好きになれない」と、はっきりと、あるいは言外に匂わせて、告げてくれます。「自分に森の声など聞こえるわけがない」と思っていると、森は、しんと静まり返るばかりで何の声も聞かせてくれません。「あなたはそう思っているけど、それは違いますよ」などという“おせっかい”は決してしないのです。「そんなふうに思わないで、違うあなた自身を見たほうがいいですよ」などという勝手な判断もしないのです。いっさいの批判や非難をせず、ただひたすら鏡に徹してくれているのです。
十年も前になりますが、初夏、ニューヨークの山をハイキングしていたときのこと。うっそうとした木立ちに囲まれた、勾配のきついところをしばらく歩くと、こじんまりとした草地が現れました。日陰の、水気をたっぷり含んだ、ひんやりした場所から、陽射しでいっぱいの青空の元に出て、まぶしさに思わず目を細めた、その網膜に、いくつもの光の玉がやさしく踊るのが映りました。
そのときに、思ったのです。「今、この森が、この光の玉が、何をわたしに語りかけてくれるのか聞きたい。聞く耳を持てば必ず聞こえると、わたしは知っている。わたしには、声を聞く自由がある」と。そして、その通りに、声を聞かせてくださいと心のなかでお願いし、心の耳をすませたのです。
聞こえました。森は、このような答えをくれました。
「楽しんでください。あなたという自由な存在をいくらでも楽しんで」
当然の答えです。わたしには自由がある、とはっきりと思った直後なのですから。森は、そのわたしの心をそのまま映し出してくれたのですから。そして、わたしは自由な存在だという思いに、何よりの証拠を聞かせてくれたのです。それまで森の声が聞こえていなかったのは、わたしの耳に能力がなかったからではなく、聞こえないという自分の決めつけが、耳に限界を与えていたのに過ぎなかったということを教えてくれたのです。
わたしは、自由を楽しもうと思います。そのことを忘れないでいたいと思います。というよりも、それだけに意識を向けて生きていきたいと思います。答えてくれた森に対して、ちゃんと聞いたわよ、今も覚えているわよ、と、伝え続けていたいからです。
「自分にできるわけがない」という信念のために、どんなにたくさんのことを見逃してきたことか。どれほど自分の自由を自ら奪っていたことか。わたしは、ほんとうの自分自身からそうやって遠く離れていたのでした。
でも、わたしに自由を教えてくれた森のおかげで、気づきました。わたしは、自分が自由という存在であると、今は知っています。だから誰を見ても、自由だけを見ようとしています。
不満や悲嘆が心に起こると、「不満に思わない自由があるのだった」と思い出すことにしています。それでもムカムカしていることがあっても、そんなものは遅かれ早かれ消えることがわかっているので放っておきます。「自由に考え、自由に見られる」ということを思い出すことだけに意識を向けるようにしています。すると、不満や嘆きは、覚悟していたよりもずっと早くに消えてくれます。自分が自由だとわかると、不満を抱える理由がなくなるからです。なぜなら、不満や怒りというのは「あなたがこれこれをしてくれないから、これこれをするから、わたしは不自由している」という決めつけが呼び込む感情だからです。
自由を思い出すと、相手に文句を言い続ける代わりに、ごめんなさい。わたしはあなたのせいで自分の人生がうまくいかないと勘違いしちゃったみたい。間違えたわ。あやまるわ。そんなふうに素直に言えます。逆に、誰かに文句を言われたときも、腹をたてずにいる自由があることを思い出します。わたしが悪い、と、自分を責めずにすむと、相手に、葛藤なしに、謝れます。でもあなただって悪いじゃないのとか、そもそもそっちが言い出したことでしょうとか、攻撃し返す理由がなくなるのです。弱くてダメな自分をなんとか守ろうとして足掻く必要がなくなるからです。あなたがそんなふうに感じたのだったら残念だわ。そんなつもりはなかったけど、ひどい思いをさせてごめんなさいね、と言えます。
どちらの場合も、ごめんなさい、です。そして、どちらの場合も、許されます。
相手が人であれ森であれ、あらゆる関係は、間違っても必ず許されるということの繰り返しなのかもしれません。そして、許すことと相手の声を聞き届けるとは、同義語なのかもしれません。

(初出誌 Linque Vol.31 発行:国際美容連盟2011年1月)