26.予言者

わたしが考えることは、あなたも考えます。自分だけの、個人的な考えというものは存在しません。わたしがが知っていることも、あなたが知っていることも、そのとおり、現実となっています。現実に存在するから、それを知っているのだと思いがちですが、知るから存在するのです。わたしたちが感じることは、そのとおりに起こるのです。

九州で、一匹の猿が、芋を、川で洗ってから食べる、ということを始め、群れの猿たちもそれに続いたが、二週間後に、北海道の猿も同様に、初めて芋を洗い出した、という有名な話があります。二週間の間に、猿社会の革命的習慣の変化が日本列島を駆け抜けたのでしょうか。それとも、同時期に、離れた場所にいる猿たちが、同じことを思いついたのでしょうか。

しばらく前に、ボストンの友だちから「ついにわたしの時が来た」と興奮気味の電話をもらいました。彼女はロックフェラー財団の援助を受けて、ハーバード大学でツベルクリンの研究をしているのですが、科学雑誌に発表できる新しい発見をしたようなのでした。さっそく20人ほどの友人たちでひと足早いお祝いの会をしたあとで、彼女が準備中の記事とまったく同じ内容のものが、ドイツの学者によって同じ科学雑誌に掲載されてしまいました。わたしたちは、同じメンバーで彼女を慰める会をあわてて開いたわけですが、そのようなことは、どこにでもあるようです。ドイツの学者がまず何かを発見し、そのアイディアが、盗み聞きした者から者へとケンブリッジの彼女まで届いたのでしょうか。その反対でしょうか。それともほぼ同時に、二人の学者が、同じひらめきを得たのでしょうか。もちろん、答えは後者です。おそらく彼女たちの他にも、同じ考えに到達した学者が少なからずいるだろうと思います。

だから、科学雑誌に、新発見が掲載されるのです。

すでに多くの学者たちの「知るところとなっているもの」が、新発見として、定着するのです。

ですから、その専門雑誌の読者である科学者たちは、ドイツの一学者の手による新発見の論文を目にして、「びっくり仰天する」というようなことはないのではないでしょうか。「自分にも実はわかっていた、わかりかけていた」ものがはっきりと整理された言葉になって登場し、確認させてもらった、自分がやっていることが何なのか確信させてもらった、ということなのではないかと思うのです。

この世に偶然はない、と言いますが、すべてのことは常に同時に起こっているし、誰にも等しく起こっているのです。そして、起こることはすべて、すでに知っていることだけなのです。人生を変えた出会いとか出来事、というようなものを思い出してみると、必ず、自分にその体験を受け入れる用意ができていたことがわかるでしょう。「そのとき、思いがけないことが起こった」というようなことは、ミステリー小説のなかにしか存在しないのです。

奇跡のような出来事というのは、思いがけずに起こることではないのです。起こるべくして起こること、起こらなければおかしいことなのです。つまり、今、わたしがこのようなことを書いているということは、読者のあなたも、このことを知っているということになります。そして、このようなことを知っているわたしたちは、人生で体験するすべての事柄は、自分で、何を知っているか、何を知ろうとしているか、何を「知っていると決めるか」によって、決定されるということを、納得できます。思いがけないことが起きてしまったら、「うかうかしていたな」と反省すればよいのです。

つまり、こういうことです。

あらゆる考えは、予言である。

予言しない考えは、共有できない。

共有できない考えは、考えではない。幻想である。ないのと同じ。

落ち着いて、静かな気持ちで心のなかを見つめてみましょう。

どんな考えが発見されるでしょうか。

それが、あなたを、わたしたち全員を、待ち受けている未来です。良き未来です。

わたしたちの、ひとりでも多くが、良き未来の予言者であるなら、良き未来は、確実に実現するでしょう。

そして、予言者であるということは、特別なことではないわけです。予言は、誰の心のなかにも存在しているのですから。

 

(初出誌 Linque Vol.27 発行:国際美容連盟2010年1月)