21. あなたにとって、理想の人生とはどんなものでしょうか。

あなたにとって、理想の人生とはどんなものでしょうか。
あなたの“悲願”は何でしょうか。  “三つのお願い”が叶うとしたら、あなたは何を願うでしょうか。  健康長寿? 経済的繁栄? 仕事で認められること? あの人との恋愛成就?  幸せな家庭を持つこと? 美しくなること?  良い仕事を持ちたい、容姿を良くしたい、もっと稼ぎたい、能力を生かしたい、成功したい、良い結婚をしたい、健康になりたい、長寿を全うしたい、そう願うのは誰にとっても当然のように聞こえます。
わたし自身も、もちろん、健康でいたいと思っています。健康でいられるように、完璧な自信はないにしても、気をつけてはいます。  けれども、それがわたしのいちばんの祈りかと聞かれれば、そうですとは答えられません。イスタンブールに行ってみたい、イースター島にも行ってみたい、等々、思うことはあっても、悲願ではありません。今、行っていないことが何よりの証拠です。もし、イスタンブールを、イースター島を訪ねることが、わたしにとって、ほんとうに意味のあることだという時が来るならば、行きたいなどと願わなくても、自然に旅行の機会が与えられるのだろうと思います。
ヒーリングの方法を習ったり、瞑想をしたり、心身の訓練をしたり、毎日念じたりすると、記憶力や集中力が増して成績があがったり、痩せたり、仕事が見つかったり、自信を持って能力を生かせるようになったり、病気が治ったりすることは、あるかもしれません。わたしたちは、実のところ、かなりの努力家だからです。いいえわたしだけは違います、怠け者なんです、という方でも、これはと思うことには、なけなしのお金もはたくし、夜なべも厭わないでしょう。
けれども、努力して、何かが達成され、それで、もう満足だ、思い残すことはない、という気持ちにはなれないことを、わたしたちは、もう知っているのではないでしょうか。
病気が治っても、また病気になるかもしれません。痩せても、今日一日食べ過ぎれば、明日は確実にリバウンドします。良い結婚は、来年もそうとは保証されていません。万事は常に揺れ動いています。誰もが中学で習うように、栄枯盛衰、諸行無常、なのです。
わたしたちは、それほど不確かなものに、無駄に力を注いできてしまったのかもしれません。しかも、その願いというのは、ほんとうの願いには成り得ないのです。健康でありますように、経済的に安定、繁栄しますように、努力が実って成功しますように、という願いは、正確に言うなら、病気になりませんように、経済的に困りませんように、失敗しませんように、社会の不適合者になりませんように、人々から見放されませんように、と願っていることで、つまり、この願いは、心配が減りますように、問題が解決しますように、と繰り返し、その心配、問題に意識を向けているということになります。
問題を解決したいと願い、社会に受け入れられるように、社会にうまく適合できるように自分を変えていきたいと祈ることで、人生が終わっていくのだろうか、それで満足なのか、と、自分に問いかけたいと思います。
この仕事が/恋愛が/ダイエットが成功すれば、わたしは幸せになれるかもしれない、という不確かな考えにしがみついて、「まだそれが達成していない今の自分は幸せではない」という信念を強めていくことで、一生を終えてしまってもいいのか、と、真剣に問いたいと思います。  ほんとうに、自分が欲しいもの、達成したいことは何だろうと、正直な、冷静な気持ちで考えてみるときに、わたしが得る答えは、その“諸行無常”の人生を、揺るぎのない穏やかさで見つめていける心です。あらゆる出来事、あらゆる思いを、慈しみの心で眺められる視線を、常に持っていたいと思っているのです。その視線とともにあるとき、移り変わり揺れ動くものではなく、決して減ったり消えたりすることのない、神の力、神の平和のようなものに包まれているのを感じます。そして、その力に抱かれて安心していると、人生に巡り来ることも、わたしの安心感を反映して、やさしくきらめく贈り物であってくれるのです。

(初出誌 Linque Vol.22 発行:国際美容連盟2008年9月)