彼女の名前を、サラ、としておきましょう。ペテルスブルク出身で、素敵なロシア名を持っていますが、アメリカでは、アメリカ用の名前を使っています。

まずは語学学校の学生の身分で入国。一年の内に英語に磨きをかけ、一年の内に結婚相手を見つけました。そのふたつが、アメリカでの最初の一年の彼女の目標であり、それを果たしたのです。

恋におちて結婚したわけではありません。アメリカ人を夫としてアメリカの永住権をとるためです。ロシア人向けの、永住権用結婚を斡旋する機関があり(公けのものではないですが)、そこにお金を払って、いわば偽装結婚をし、永住権を手に入れ、それから二年目に、やはり目標通りにハーバードのビジネススクールに入りました。

ハーバードのビジネススクールは、最高学府のひとつとして知られています。サラは、たいした秀才なのです。ついでに言えば、才色兼備。

ロシアからの移民で、サラのような人は少なくありません。わたしが会った人たちは、皆、裕福な(または由緒ある)家庭の出身で、若く、自国の学校で優秀な成績をおさめていました。彼らの野心ははっきりしていて、アメリカでより良い学問を身につけ、箔をつけ、いずれ自国に戻り、一族の、ひいてはロシアのさらなる繁栄に貢献することです。

だから、語学も一年で身につけますが、一年で、ハーバードの大学院でついていけるだけの語学力を身につけるのは並大抵のことではないのです。

彼らはまた、偽装結婚でアメリカ滞在の資格をとることに、何の抵抗もありません。

アメリカ市民の配偶者は、永住権を取得でき、その後、望むなら市民権も得られます。それで、アメリカにいたいけれどヴィザが取れない、結婚相手もいない、という状況で、ならば、アメリカ市民にお金を払って、結婚したことにしてもらう、ということをする人がいます。そのようなケースはそれほど珍しくはなく、さまざまな国籍の人がいるし、日本人にもいます。ただ、日本人の場合は、割りきった偽装結婚というコンセプトには少なからず抵抗があって、結局はその相手と恋愛をし、普通に結婚生活を続けることが多いように思います。

わたしの知るロシア人たちは違うのです。百万円相当の支払い額は、親元から送られてきており、それで結婚を“買い”、ほぼ二年を経て、移民局から永住権の最終認可を得ると、さっさと離婚します。百万円で手にした永住権で、学校を卒業し、高い地位に上り詰めていくための職を得るのです。

サラもそのひとりでした。彼女がニューヨークに来たばかりの、拙い英語での会話時代からずっと、個人セッションを通して付き合ってきました。卒業後は数年の内に、最大手のひとつの投資銀行で働き始め、三年の内に部下と二人のアシスタントを得る地位まで行き、偽装結婚とは縁を切り(円満な離婚。感心したのは、離婚時にも、“お礼”として相手になにがしかの支払いをしたことです。ほかではそんな話は聞いたことがありません)。しかも今度は、親がかりでなく、自分で払いました。すると相手は、「成功おめでとう。少しでも役にたてて嬉しいよ」と、豪華な花束で新たな旅立ちを見送ってくれたそうです。(そんな話もほかで聞いたことがありません)。

夢をニューヨークで花開かせる、というけれど、その夢はさまざまだし、何をもって花開いたとするのかも、いろいろあるでしょうけれど、サラの“昇進”の鮮やかさには目を見張らせられるものがあります。

トントン拍子だったの?

とんでもない。

いくつもの、いくつもの波を、大きな、そして小さな波を、心で乗り越えてきました。初期だったので小さな手術だけで済んだものの、癌も患いました。

心で乗り越える、というのは、歯を食いしばって耐えることでも、 策を弄して切り抜けることでもなく、障害や危機を、学びの機会、気づきのギフトとすることだと思います。

どうやって?

答えはただひとつ。

「それを、学びの機会ととらえる」という意志を持つこと。

「それを、気づきのギフトとして感謝して受け取る」という意志を持つこと。

サラは神の恵みを疑っていなかったので、それが大きな助けになったと思います。

わたしがセッションで彼女にしてあげたこと?

これも、たったひとつ。

問題があると、連絡を寄越す彼女に、会うたびに、

「Congrat!! (おめでとう!)」と言っていたことだけです。

おめでとう、とは、もちろん、問題がやってきておめでとう、それはギフトなのだからね、という意味を込めてのことです。

サラは、ギフトとして見る、という意志を持てば、必ず、「ほんとだ、これってギフトだった」という結果になるということを、真剣に学んだのです。

意志を持つとは、目的を持つ、ひとつの目的から意識をそらさない、ということでもあります。サラが共に歩いてくれたおかげで、わたしもそのことをよく学ばせてもらいました。

サラは、ロシア人と結婚し、子供を二人持ち、家族で祖国に帰っていきました。そして、二年前に、子供を三人に増やして、ニューヨークに戻り、アメリカ市民権をとって、今度は夫の永住権のためのスポンサーになりました。

仕事は、以前と同じ最大手の投資銀行に、ずっと上のポジションで入りましたが、四十代でリタイアして、世界平和のためのNGOを立ち上げるつもりだそうです。

どうしてニューヨークに戻ってきたの、ときくと、やっぱりここはギフトが多いから、という返事。

「それは、つまり、問題が多いってことね」「その通り! 物価高、熾烈な競争、人口過密、、、最高よ」二人で笑いあいました。

( 初出誌 Linque Vol. 56 発行 : 国際美容連盟 2017年4月20日 )