⑨ ヒーリングの前提

抱えている重石が、自分の思い込み、幻にすぎない、という“事実”を受け入れたいと願うことこそ、祈りの出発点であり、また最終地点だということをすでに書きました。 幻想だったという気づきとは、つまり、 「自分の過ちは何事も、誰をも、変えることはなかった。だめにすることはなかった。破壊力を持たなかった」 という安堵感を持つことです。 さらには、 「しかもそれは、自分の過ちですらなかった」... 続きを読む...

⑧ 「自分のせいじゃない」ことを思い出す

自分自身をAという個体とみなすとき、必ず、他者としてのBが現れます。 AとBは、たとえふたりともが「わたしたちは同じものを見て同じことを考えている」と主張しても、たとえば単純に、AとBが向かい合っているなら、二人は反対の風景を見ていることになります。ビーチに並んで腰をおろし、水平線を眺めていても、Aは遠くを過ぎるヨットの帆に意識がいき、Bは、ゆっくり姿を変えていく雲の輪郭に気を取られているかもしれません。 AとBは、永久に、同じものを知覚することはできません。 それが宿命です。 なぜなら、Aという個体にとって、他のあらゆるものは、... 続きを読む...

⑦ A ———————————— B

想像力を使いましょう。 想像の力を借りて、創造の海に戻りましょう。 そう書いてきました。   “問題”を見るとき、わたしたちは、AとBの点をつなぐ直線の時間軸のどこかに立っています。A とはもちろん、誕生時、Bは死亡時です。直線は、人生の時間です。   A    ——————————————————————————→ B   実際には、そんな時間軸は存在しないので、無意味に想像力を使って、不毛な“問題”を抱えていることになります。... 続きを読む...

⑥ 創造の海へ

祈りと癒しは同じものです。 祈りとは、癒しを経験するプロセスです。 そして癒しの経験と、クリエイティブな経験は同じものです。 さらに、クリエイティブな経験と祈りは同じものです。   あらゆるものは、愛という叡智でできています。 それは、このように言い換えることもできます。 神はあらゆる細部に宿る。そして神はどの瞬間にもいらっしゃる。   愛でないものは存在しません。 叡智以外のものは存在しません。 神以外のものは存在しません。 たったひとつのものしか存在していないから、平和があるのですね。... 続きを読む...

⑤ 無限感覚を経験する。

わたしたちは、さまざまな制限を自分自身に課しています。   せいぜいここまでしかできない。 せめて、これだけは欲しい。 あの人と自分は、元々の“でき”が違うからしかたない。 あの人のようになるには、少なくとも10年かかる。そんな悠長なこと言ってられない。 このトシになってそんなことをやり遂げた人なんていない。 その他いろいろ。   制限をかけると、心は弱まります。正確には、心が弱まるなどということはないのですが、弱まっている気がします。... 続きを読む...

④ 祈りのステップその2

祈りに正直さとまごころを込めるためには、    指揮者交代   の必要性を認めたいと、前に書きました。   自分が人生の指揮をとっているつもりになっているとき、わたしたちは、その「つもり」にしがみつくために、どうしようもなく頑固になっています。   ご自分のまわりに、どなたか、「なんて頑固な人だろう」と思う方がいますか? いるとしたら、それは、    実は自分が頑固なのです。  ... 続きを読む...

③ 祈りのステップその1

“効く祈り“は、ひとつしかありません。 全身全霊で行う祈りです。 「自分でも手を尽くすけど、一応神様にも祈っとこう」では、心を傾けていることになりませんし、 「一か八か祈ってみよう。もしかしたらうまくいくかも」では、祈る相手を信頼していないので、その祈りが叶えられたとしても、見逃してしまうでしょう。 自分でできるかも、自分でも頑張らないと、と思っているうちは、祈りにまごころを込めるのは難しいのではないでしょうか。 「健康になるよう助けてください」という祈りに、まごころはあるでしょうか。... 続きを読む...

②問題を一掃する祈り

クォンタム・プレイヤーは、”問題”を一掃します。 その”問題”が、長い間抱えてきたものであっても、さまざまな療法を試してだめだったというものであっても、関係ありません。祈りに、難易度はありません。 そしてまた、”問題”の一部だけが癒され、解決されて、別のものが残るということもありません。ひとつの”問題”がなくなるということは、すべての”問題”がなくなるということだからです。 身体の機能がホリスティックなものであるように、祈りもホリスティックです。... 続きを読む...

①祈りのプラクティショナー

祈りの力は、太古の昔から、古今東西で認識されていました。 祈祷の儀式は、ありとあらゆる“まつりごと”の基盤でした。 世界中のどの地域でも、どの時代でも、祈りなくして、人間は生きてはこられませんでした。 ここにご紹介するのは、あらゆる祈りのなかでも、最強の祈り、奇跡を起こす祈りの方法です。 (最強の、と言い切ることをゆるしてください。少なくとも、最強の祈りのひとつであることは間違いないと思っています。経験からです。) わたしは、この祈りを、A Course in Miracles から学び、また、直観医療家のKim Sheer... 続きを読む...

Frances XuがCRSに来てくれました。

David Hoffmeisterのコミュニティから、Frances XuがCRSに来てくれました。ランチの後のおしゃべりをみなさんにシェアします。この後 Jon Mundy のクラスに一緒に参加、そして彼女の素晴らしいシェア、それから彼女はロンドンへ! 画面右下のCCボタンをクリックすると、日本語字幕がご覧になれます。   Yasuko (Y): フランシス、CRSへようこそ。 Frances (F): 弥須子さん、ありがとうございます。 Y: いらしてくださって嬉しいです。 F: ご招待ありがとうございます。 Y:... 続きを読む...

On behalf of~ の心

リチャード・リーヴス氏が< Infamy > (by Richard Leeves)(=不名誉)という新作を出し、それが日系アメリカ人の強制収容所についてのことであり、そして著者がジャパン・ソサエティで講演をすると聞き、これは万難を排して行かなければと、出かけてきました。... 続きを読む...

中馬芳子を知っている喜び

ニューヨークで、幾人もの”ニューヨークの知性“を象徴しているように見える人から、「えっ、君は Yoshiko Chuma を知ってるの!?」と、尊敬のまなざしで見られてびっくりもし、鼻高々にもなったのは、わたしがニューヨークに住み始めて間もない80年代の終わり。 中馬芳子(敬称略)が、The School of Hard Knocks... 続きを読む...

正史と叛史

正史。それから、叛史。 このふたつの言葉の発明者は、船戸与一さんでしょうか。わたしは彼の著書でその概念を学んだのでしたが。 正史とは、表面にある、みんなが、「これが、自分たちの歴史だ」と思い込んでいる歴史のこと。そして、その歴史は「強い者が勝つ」というただひとつの論理によって編まれ、人々が、無邪気に受け入れているもの、と、氏は書いています。 叛史とは、正史から意図的に排除された歴史、正史から見るなら影の歴史、自分たちに叛く歴史であり、そして叛く側、影の側から見るなら、それこそが真の歴史ということになります。... 続きを読む...

ヒーリングは、いつでもどこでも、意志さえあれば。

Jon Mundy のクラスの休憩時間、オフィスに入っていると、ノックが。George とShakti  が外にいて、 「隅のほう、ちょっと使っていいかな」「ヒーリングしたいんだけど」。 二人とも長年のACIM の教師。そしてJon のレクチャーのクラスメート。でも、口をきいたこともなく、お互いの名前さえ知らなかった様子です。 「彼女が席の向こうのほうにいて、なぜか、彼女のヒーリングをしたいと感じたんだ」とGeorge. 「あなた、誰なの? 名前は?」とShakti. もちろん、わたしも心でヒーリングに参加。... 続きを読む...

母の日に、

二年前の母の日に、<じゃない会>ブログにサム・レヴェンソン氏の詩の抄訳を投稿しました。当時は新米ママだった方はぐっとたくましくなっていらっしゃるし、当時はまだママでなかった方も大勢いらっしゃいますね。... 続きを読む...

ニューヨークにはない言葉

今晩のCRS は前回も大好評だった、中井知恵美さん(ピアノ)+みとゆかさん(ヴォーカル)のライブで大勢のお客様をお迎えしました。知恵美さんのラテンジャズはベテランの余裕、ゆかさんは、前回も、なんてのびのびと声が広がる方なのだろうと打たれましたが、今回はさらに、「ええっ?」というようなリズムの良さと声量の絶妙なコントロールに磨きがかかっていて、驚かされました。やっぱりプロフェッショナルな人というのは自分を磨き続ける人のことなんですね。 David Freyre のパーカッションと歌、Chris Berger... 続きを読む...

『献灯使』

日中何をしていようと、就寝前の読書(とバスタイム)の愉しみは欠かさない習慣です。カンファレンス終了日に、たまたま読了となったのが、多和田葉子さんの『献灯使』。彼女に関しては、わたしは、新刊を待ち望んでは胸高鳴らせ、本に向かって手を合わせてからページを開く、というほどのファンです。彼女の作品は、どれをとっても秀逸ですが、この新刊は、傑作、などと呼ぶには失礼なほど。人の想像力のはばたきとは、こんなにも自由で限りのないものかと、各ページ、うれしい驚きに満たされながら、読み終わるのを惜しみながら、の読書時間でした。... 続きを読む...

息と念

今回のカンファレンスで、わたしは、「神の息」のお話をさせていただきました。幼少時の喘息からの回復のことや、ニューヨークに来たときのこと、9.11. のこと、など、奇跡の光を感じた、個人的なターニングポイントのいくつかをお話しました。... 続きを読む...

ACIM カンファレンス終了しました。③

カンファレンス延長組のみんなです。終了後の20日月曜日、CRS で復習クラスとヒーリング・クリニックと打ち上げパーティをしました。人前での演奏は苦手!と言っていた松本初枝さんは、ショパンのノクターンを披露。普段はスタインウェイを弾いているのに、CRSのヤマハのキーボードを絶妙な音に調節して、心に沁みる演奏をしてくださいました。... 続きを読む...

ACIMカンファレンス終了しました。②

「カンファレンスはファミリー・リユニオン(家族みんなの再会)」と、誰もが言います。わたしも、初めての参加ながら、ほんとうにそう感じました。 日本から(バンコクからも、カナダからも、もちろん地元ニューヨークからも、そしてCRSからも)参加のみなさんと、アメリカのみなさんが一堂に会する場面を目撃できたから、そう感じたのだと思います。 赤毛の先生はキャシー。ご主人と娘さんを殺され、お孫さんを失い、、、でも長年いちばん苦しんだのは、自分の母親をゆるすことだったと話してくださいました。... 続きを読む...

ACIM カンファレンス終了しました。①

2015 インターナショナル・カンファレンス、4月17、18、19日、限りない優しさに全員が包まれて過ごした三日間が過ぎ、早くも恋しくなつかしいです。 書きつけておきたいことはたくさんありますが、まずは、『愛のコース』をチャネリングしたマリ・ペロンさんとの夕べのこと。子供の本と自然の本を出している出版社を経営しているグレンとマフィ夫妻が、『愛のコース』の出版を決意した経緯や、マリが、『愛のコース』を受け取り始めたときのお話など、グレンとマフィ夫妻のスイートルームにお邪魔して、うかがいました。... 続きを読む...

史上最年少

史上最年少のACIM Teacher のクラス風景を送っていただきました! ニューヨークのリスもホークも、我が家のナマケモノ(トヨタくん)フクロウ(ポーちゃん)たち、公園のブランコのところでいつも声をかけあっている子どもたち(グッドマン夫妻が中国から二人同時に養子縁組したエイミーちゃんとハロルドくん)も連れて、いつか参加したいです。(写真をクリックしていただくと大きくなります)      ... 続きを読む...

「心配は攻撃」でも「心配ごとを心に住まわせる」のは、、、。

ACIM で言っているように、誰かを心配することは、その人の弱さに焦点を当てていることになるので、究極的にはその人を糾弾していることにつながります。そしてそれは自分自身の弱さを責めることにもなっています。大事に思うから心配するのに、そこにそんな力学がひそんでいるなんて、、、心のなかで起こっていることを無意識のままにしておきたくはないですね。... 続きを読む...

一流人の仕事のしかた

CRS三階拡張工事、騒音でみなさんにご迷惑をかけながらも、嫌な顔などされずに「楽しみね」と言ってくださる方ばかり。 棟梁のDumitru は朝早くから夜遅くまで、ごく小さな、ほんとうに細かいところにこだわり、時間を惜しまず、やり直しも厭わず働き続け、完成も間もないところまできました。 彼は、声をかけに行くと、「あんまり来ないでよ」と言います。「あっと驚かせたいんだから」。 その彼にいろいろ難題を投げかけ、さらなるこだわりと完璧さから離れないのが、建築家&デザイナーのCloud inc. マサさんとOstap のお二人です。... 続きを読む...

今日はリスです。

あと十日ほどで、2015 New York 『奇跡のコース』カンファレンス、日本から大勢のみなさんをお迎えします。 日本からいらっしゃる方は、マンハッタンにリスがたくさんいることにびっくりなさいます。公園にいるし、道路を横切っているリスもいます。 わたしの母なども、はじめてニューヨークに来たときは、「あ、リスっ! リスっ!」と叫んではパチリ。あとで焼いてみたら観光写真の三分の一がリスだった、となってしまいました。25年前の話ですが。... 続きを読む...

podcast精読のBGM

テキストを一段落ずつ読んで、その内容をできるだけ深く理解し、受け取り、その日の心の使い方とする。そのようなACIM テキスト精読は、みなさんも熱心に学んでくださっていますが、わたしも、毎日、やっています。 「最近、録音を自宅でなさっていますよね?」と、鋭い指摘をくださった方がいますが、仰るとおり、たいていは、自宅で朝、やっています。いろいろなことが起こるので、夕方になることも、稀に、あります。... 続きを読む...

世界一有名な写真

しばらく前までは、世界の歴史はライフ・マガジンの写真が綴っていました。ライフ誌が撮る”歴史的瞬間”を時間軸に沿って眺めると、「自分が生きている時代が一望できる」感じがしたものです。ニューヨークに住み始めてしばらくは、いつも、スーパーマーケットのキャッシュレジスターの隣のラックから引き抜いて、カゴの中の野菜の山の上に載せていたものでした。... 続きを読む...

成田空港にて

3週間の滞在を終えて、ニューヨークに戻るところです。 今回は、三日間の中野セミナー、名古屋セミナー、その他のクラス等で、大勢のみなさんと、“見極め”をシェアさせていただきました。わたしたちには、いつも軌道修正が要るようです。たぶん毎日。たぶん一時間に一度。たぶん五分に一度。いいえ、軌道修正こそが生きることそのものかもしれません。 罪悪感に逃げずに、“楽・楽・軌道修正” を続けたいです。 この冬、 特に日本を震撼させた出来事は、少なくありませんでした。ドキリとし、軌道修正に時間がかかることもありました。... 続きを読む...

「どうでも良くないどうでもいいこと2」

『どうでも良くないどうでもいいこと』は1983 年 に出た本の題名です。 著者は、フラン・レボウィッツというニューヨークのエッセイスト。 読み始めれば、日本風女性美とか、かわいらしさ、お行儀というものから遠く離れたところにいる人ということがすぐわかります。 まるで鳩に餌を与えるように、ほれっほれっと、しょっぱい言葉を投げかけるような書きっぷりで、ページを繰っていると、自分が鳩になってからかわれているような気分になり 、それが奇妙に心地よかったのです。 たとえば、こんなふう。... 続きを読む...