愛について 番外編

去る七月三日、祖母が亡くなりました。  弟とわたしは、祖母を「春枝さん」と呼んでいましたが、わたしがニューヨークに住んで以来の、祖母とやり取りした膨大な数の手紙の差出人は「早喜代」となっています。91歳の誕生日を境に急速に惚けが進んでからは、祖母は自分のことを「友子」と言うようになっていました。  いくつも名前があるのは、ちょっとした事情があるからなのですが。
わたしは、母よりも近しく、祖母に育てられました。母も身近にいましたし、母に問題があったわけでもないのですが、祖母が母代わりの役目を果たすことになったのにも、ちょっとした事情がありました。
祖母は、ですからわたしが生まれてこの方、もっとも長く、親しく付き合った人でした。その祖母には、さまざまなかわいらしさがあり、おかしみがあり、きびしさがありましたが、何を置いても、祖母は一貫して、わたしのspiritual teacher だったと言えます。
祖母が常に、もっとも気にかけていたこと、心の中心に据えていたことは、「地球の資源」の問題でした。プラスチック、ビニール、石油を含むエネルギー源、紙もしくは木材、そして水。わたしたち人間が、それらを驕りたかぶった、無知なる心で浪費するのを止めることを、ほかの何よりも、いえ、それだけを、願っていたと言っていいと思います。
資源を大事にすることだけが、地球の本来の調和と豊かさを取り戻す方法だと知っていたからです。そして、資源を大事にしようとする心遣いが、人間の心に、本来の調和と豊かさを取り戻すために必要なのだとわかっていたからです。  声高に主張することはありませんでしたが、日常のなかで、ゴミや水、電気の扱い方、あらゆる物体、生物の慈しみ方を通して、資源を大事にする実践から手を抜いたことはありませんでした。これは全部、神様なんだからね、とわたしは教えられました。
つつましい、ささやかな無名の一生であり、いくつもの事情を抱えた上、戦中戦後の厳しさをくぐり抜けて来た彼女の切実な思いが、私利私欲をはるかに超えた、地球の調和ということであったとは、実に驚くべきことだと思います。その上、環境の豊かさを通して、わたしたちの心もまた、本来の平和に還ることができるという英知に目覚めていたとは。それは単に、きびしい時代を生きた人の「貧乏性」ということとはまったく違った精神でした。

祖母は、人間の身体もまた、地球の資源のひとつと考えていました。わたしたちは、水や石油や鉱物、植物、微生物、その他いろいろとまったく等しい目的で身体を与えられて地上にやってきた。すなわち、この世界に調和していくという役割を果たすため、互いの存在を慈しみ、大事にし合うという役割を果たすために生まれてきたのだから、その資源としての身体をよく扱い、最大限に生かすことが、わたしたち全員の義務であり、また生き甲斐なのだと、言っていました。  祖母は、自分の身体を、そのためだけに使って生きていました。
最後の一年を除き、一生を通じて医者知らずであったこと、化粧水要らずのきれいな肌をしていたこと、実に健康、頑丈な身体の持ち主だった秘訣は、まさにそこにあると思います。今年になってなお、前屈すれば額と脛がぴたりとつくほどの柔軟性を備えていましたし、バレリーナのように脚を蹴り上げることもできたのです。

祖母は、これもまた驚くべき記憶力で、人生に関わりのあった人たち全員の命日を覚えていて、それぞれの命日に、その人に語りかけるということを欠かさずやっていました。一年三百六十五日、命日の人がいない日はありませんでした。  何を語りかけたのか。 「こうして生かされていること、ありがとうございます」 「これでいいのでしょうか、あやまちがあったら教えてください」 「あなたさまが安らかであられることを。どうぞ平和でおありくださるように」  このような祈りが基本になっていました。
早死にをして、短い年月しか共にできなかったわたしの祖父との生活を、祖母は「大木の下にいるようだったよ」とのろけていたのでしたが、その祖父には、とりわけ親しく、こまごまとしたことを、毎日語っていたようです。 「そうか、おばあちゃんのこと、あちら側でみんなが待っててくれてるのね。だからわたしたちは、おばあちゃんが死んでも悲しまなくてすむのね。ありがとね」  数年前、そのように祖母に言ったことがあります。そのとおり、そのとおり、と祖母は答えたものです。

祖母の体調と精神状態に変化が兆し始めたのは一年前でした。健脚自慢の足腰が弱り、妄想にひたり始め、回復かと思うとさらに進み、大手術も経験し、ちょうど大波に揺られながら進む舟のように、周囲をはらはらさせ、驚かせ、時に大騒動を引き起こしながら、子どもに還っていきました。  周囲の者にとっては波乱の多い、本人にとっても「こんなはずじゃなかった」症状をさまざまに見た、苦痛の少なくない晩年でした。けれども、身体の症状に振り回され、苦しんだのは身体でのことで、祖母の魂は、そのように身体を変えていくことで、実になめらかに、また「計画通りに」向こう側へわたっていったのだと、わたしにはわかります。  わたしの両親の、こちらもまた驚異的だった忍耐と愛情に支えられて、祖母は、悠々と、安心して、任せきって、向こう岸にわたったなと感じます。
祖母は、まさに、神の子として生きていたと、つくづく、思うのです。神の世界の調和と豊かさのみを見つめ、そのなかにふんわり浮かぶように生かされることをのみ求めた一生でした。  神という言葉は祖母にはあんまり似合わないのですが。ほとけさま達の子ども、宇宙の子ども、と言うほうがしっくりくるのですが。

告別式の終わりに、お坊さんが、「これでおばあさまは、みなさんにとっていちばん身近なほとけさんとなりましたね」と話されました。  ほとけさん、あるいは、ホーリースピリット、どちらでもいいのですが、ほやほやの自由な魂が、今、祖父という大木の下で、好きだった絵筆とスケッチブックをなおも胸に抱えて、今度は向こう側からこちら側に、語りかけている姿が、ありありと見えるようです。  小さい身体をひれ伏すように折り曲げて、 「ありがとうございました」  「平和でおありください」  とささやくような声で伝えてくるのが聞こえます。
明治、大正、昭和、平成の日本をつつましく、たくましく生きた一女性の、この感謝の念と平和の祈りを、みなさんもご一緒に受け止めてくださったなら、これ以上の喜びはありません。

ここしばらく、日本との往復が繰り返されたことなどあって、この連載も滞りがちになっていました。セッション、クラスのキャンセルが続き、大勢のみなさんにご迷惑をおかけしてきました。この場を借りて、お詫び申し上げます。 みなさんの忍耐と信頼に感謝いたします。 新しい「ほとけさん」を迎えている間に、CRSも一周年の区切りを越えたわけですが、わたしたちひとりひとりの中に在るほとけさん、またはスピリットが、今後ますます、輝いて、羽ばたいて、みなさんの個々の生活に、調和と豊かさ、平和がくっきりと見えてくるように、わたしたち皆が、その世界の目撃者であるように、そのためにCRSが活用されるように。それが、わたしにとっての祈りです。