愛について 22

「悟り」とは、「愛を知ること」ではないかと書きました。愛を知るとは、許しを知ることではないかとも。
愛を知るとき、今まで自分が抱えてきた痛みや苦しみ、恨みや非難といったものが全部表面に浮かび上がってきて、それが愛の歓びに溶かされていくのを見る、ということも書きました。
さらに、「でもわたしたちは愛をほんとうに知ることができない」「なぜならわたしたち自身が愛の存在であり、また愛のなかに生きているので、愛を目撃することは不可能だから」と書きました。 愛は、目に見えるものではないのです。けれど、体験することはできます。ホーリー・スピリットというコンセプトを通して。
ホーリー・スピリットとは、日本語では聖霊となります。キリスト教だけでなく、多くの宗教で大事にされているコンセプトです。 ニューエイジのジャンルでは、宗教色をなくすためか、ガイドとか、ハイヤーセルフという言葉で表されているようです。 愛の経験をいつでも与えてくれる存在であり、わたしたちがそれを思い出すのを待っていてくれる存在、そして求めるときにはあらゆる形で、即座に応えてくれ、奇跡を見せてくれる存在だと、教えられています。     けれども、愛と同様、ホーリー・スピリットは目に見えるものではないので、これこれのような方です、とご紹介することができません。ですから、ホーリー・スピリットとは何か、万の言葉を費やして説明しても、ぴんとこないのではと思います。その代わり、ひとたびホーリー・スピリットを「感じる」体験をすると、「わかり」ます。  ホーリー・スピリットが何を見せてくれるか、例をあげてみましょう。

たとえば、先日の日曜日のわたしの経験をお話します。 地雷というものがありますね。地球のあちらこちらに数えきれない地雷が埋まっていることをご存知だと思います。 どれも、人間が繰り返してきた、そして今も続いている戦争が次から次へと残していく”活”兵器です。
危険でない兵器などというものはあり得ないわけですが、地雷は、その処理についてまったく考えられないまま、むやみと使われた兵器で、地雷が埋まっているうちは、地球上のどこでも、戦争は続いている、ということになります。  世界のあちこちで、今も地雷を踏んで人が死に続けています。
1999年のオタワ条約でやっと、地雷の全面使用禁止と、すでに埋まっている地雷の総力あげての全面廃棄が決まりました。でも、その条約には、アメリカも、ロシアも、中国も加入していないのです。
地雷を踏む心配をしないで暮らしているわたしたちは、誰かがコン・エディソンの地下配線に感電して死んだとか、マンホールに落ちて死んだとかいうニュースを聞けば、気をつけなきゃ、などと思いますが、地雷がどこに埋まっているかわからない、しょっちゅうどこか遠くない場所で爆発が起き、そのたびに誰かが死んでいる、という状況下で生きていると想像してみてください。どれほど人生を脅かされることでしょうか。どれほどのやるせない悲しみに遭わなければならないでしょうか。
地球上の大勢の人たちが、そんな環境で生きているのです。  生きとし生きるものに恵みを与えてくれる母なる大地は、数えきれない危険兵器を埋め込まれて、どんな思いでいることでしょうか。  日本人にとっては、カンボジアの地雷がいちばん身近にとらえられるものかもしれません。地雷の除去作業に、大勢の勇敢な日本人が参加していますから。  除去作業のボランティアの最中に亡くなる方も大勢います。地雷は、踏めば爆発するわけですから、除去作業はたいへんに危険なものなのです。
アフリカは、長く内戦が続いた大陸ですから、地雷の数も多く、今もなお推定4億個(!)もの地雷が散らばっているのだそうです。二十分に一人 ( !) が、地雷を踏んで死んでいる、その多くが子どもたちだということです。

「そんなアフリカに、バート・ウィーチェンという少し変わった男の子がいました」  と、そのウェブサイトは始まっていました。 「どこが変わり者と思われていたかというと、彼はネズミが大好きだったのです」    アフリカには、子猫の三倍もの大きさの、巨大なネズミが生息するそうですが、バートという男の子は、その大きなネズミをペットにしてかわいがっていたとのこと。気味悪がる人も少なくなかったようですが、バートくんは、ネズミは、愛らしいだけでなく、賢い動物だということもよく見抜いていたのだそうです。 「バートは成長して、義手義足を作る仕事に携わるようになりました。アフリカでは、大量の義手義足、そしてその技師が必要とされています。地雷を踏んで手足を失った人たちが大勢いるからです。バート青年は、その数のすさまじさにたいへんなショックを受けました」    そこで、バート青年の頭にひらめいたインスピレーションは、 「ネズミを訓練して除去作業に使ったらどうか」 というものでした。
ネズミの嗅覚は非常に研ぎすまされています。地雷の匂いを嗅ぎ分けるのです。ネズミは発達した知能も持っていることをバート青年は知っていました。しかも、巨大ネズミとは言え、軽いので、地雷を踏んでも、爆発することはない、つまり死ぬ必要はないわけです。さらには、ネズミの養育費は安価だし(犬ほど食べません)繁殖力もあるし、なによりネズミは反復作業が大好きです。
というわけで、現在、バート氏を中心に、タンザニアで、すばらしいプロジェクトが進められています。バート氏は、地雷除去作業に適応できるようネズミを訓練する傑作な方法を編み出しました。このプロジェクトが広がるほど、人や犬が、除去作業によって死ぬ確立が減り、地雷除去が加速することになります。
このウェブサイトを開けたのは、日曜日の朝七時でした。友だちがメールして教えてくれ、一気に全部読みました。  窓から流れ込んでくる風がすがすがしく気持ちよいので、公園の脇に出ている青空市場に果物を買いに出ました。    初夏の空かと錯覚するような、くっきりとした、透明感のある空が広がっていました。市場に直行せず、公園をふらりと歩きました。  うれしかったのです。  ショックと言っていいほどの驚きが、全身に広がっていたのです。  これがホーリー・スピリットかと思って。  これがホーリー・スピリットの奇跡だと見えて。

どうぞわかってください。  恐るべき数の人間が、動物が、長年の人間の愚行のために毎日死んでいるという状況がある。ここに、思いがけない一筋の光が射した。それは、ネズミという種類の生き物、人間にとっては、忌み嫌う対象にはなっても決して何かを分かち合おうとする存在ではなかったものが、今、地球を、人間を、救おうとしている。
このことが、何を表しているか、どうぞ理解してください。  ホーリー・スピリットは、「無意味な存在はない」ことを教えてくれているのです。「何ものも、与えるものを持っている」ことを。「あらゆる存在は光でできている」ことを。「あらゆる存在が、その愛を放射する」のだということを。そしてさらには、「ホーリー・スピリットは、どんな状況をも、奇跡を起こすために使うことができる」ということをここで証明してくれているのです。

わたしは今のアパートに住んで15年ほどになります。目の前の公園は、ほぼ毎日通っていることになるのですが、こうして嬉しさに突かれるように公園を歩いた何度かの経験は、どれもよく覚えています。 『晴れた日に永遠が見える』という映画(+曲)がありますが、このフレーズは、いつもこの公園でよみがえってきます。
公園の西側の樫の木のてっぺんに、白い鷹のカップルが巣を作るようになって数年になるのですが、毎年、卵はなぜか無事に孵りません。近所のみんなで、なんとか卵を守ろうと工夫をしているのですが、うまくいかないままです。  地球のどこでも、生命の物語がありますが、アフリカにも、この小さな公園にも、ホーリー・スピリットという愛は行き届いていると、信頼できる、とういうよりも「わかる」感じがしています。
より多くのネズミを養育し、訓練し、地雷廃棄作業をできるだけ早く押し進めるするために、ウェブサイトでは、サポートを呼びかけています。 「養育費一ヶ月5ユーロで、その成長の姿をお見せしますし、訓練の上達の具合もレポートします。今、養子にしていただけるネズミは、生まれたばかりのロージィ、訓練を開始したところのマーシィ、それから・・・」

http://www.apopo.org/en/