祈りと癒しは同じものです。

祈りとは、癒しを経験するプロセスです。

そして癒しの経験と、クリエイティブな経験は同じものです。

さらに、クリエイティブな経験と祈りは同じものです。

 

あらゆるものは、愛という叡智でできています。

それは、このように言い換えることもできます。

神はあらゆる細部に宿る。そして神はどの瞬間にもいらっしゃる。

 

愛でないものは存在しません。

叡智以外のものは存在しません。

神以外のものは存在しません。

たったひとつのものしか存在していないから、平和があるのですね。

異物などどこにも見当たりません。愛ではないもの、恐れや怒り、悲しみや嘆きは存在していません。

足りないもの、病、ひどい仕打ち、不公平、災難、災害、戦争、それらのものはどれも、「わたしたちの幻の夢」ということになります。

たった今、目の前に、病気で苦しむ人がいて、金欠という一大事に直面していて、もちろん、この世界に戦争は絶えず、テロリズムの脅威は増す一方なのに、そしてその痛みはこんなにもリアルなのに、それが幻ですって?

わたしたちは、どうしたって、そう言いたくなります。

けれども、心の奥では、それがほんとうの現実であったらどんなにいいだろうと願ってはいないでしょうか。

もしほんとうにこれが幻だったら、こんなにうれしいことはない。だって、わたしが幻から覚めれば、痛みと苦しみのない世界が広がっているということになるのだから、と。

「そんなはずはない!」「この苦しみを幻だなんて言うな!」と強烈な拒否反応が出たとしても、少し、このことを考えてみると、「今まで耳にしたことのある何よりも良いニュースかもしれない」と気づくかもしれません。

平和とは、そのようにしか実現しないものなのではないでしょうか。

わたし自身は、20年以上も前に、『奇跡のコース』でこのことに触れたとき、ああ、そうだったのね! と、あっさり受け入れたことを覚えています。これですべては腑に落ちる、と感じたのです。

それまで、この世は、いずれにしても四苦八苦である、ということは聞いていましたが、そして、その四苦八苦の世界に意味を見出すことができず、そのことにこそ、どうしようもない痛みを感じていましたが、その四苦八苦の世界を抜けたところに意味のある別次元の現実というものがあり、それを地上で経験することが可能だということを教えてくれるものに出会っていませんでしたし、ましてや自分で気づくということもありませんでした。

ですから、この”ニュース”は、わたしにとって、唯一無二のグッド・ニュースでした。そういう“ほんとうの現実”があるならば、ぜひとも、それを経験したい、と切実に願いました。以後のわたしの年月は、すべてそれを求める時間と、それを経験しありがたく噛みしめる時間のに種類でできています。

そして、祈りのゴールは、究極的には、そこにあると感じています。絶対平和。それを経験したいということ。地上で経験したい、つまり、平和な心を、人と分かち合う、ということをしたいということ。

クォンタム・プレイヤーとわたしが名づけた祈りは、クォンタム・ヒーリングの基盤を成すものです。

何かを切に願う、祈る、ということは、癒しを求めるということだからです。

あなたの苦しみではなく、幸せを、喜びを、平和を、いのちの輝きを見たいのです。

わたしの苦しみを、あなたの苦しみのせいにして、責任を押しつけて生き続けていたくないのです。

癒された状態だけを、目撃し続けていたいのです。

そのような祈りであり、癒しです。

ヒーリングとは、クリエイティブなプロセスです。共に、クリエイティヴィティを分かち合い目撃していく、一緒にクリエイトしていく、プロセスのことです。

クリエイティビティを発揮するということと、癒すということは、同じです。

というのは、私たちの自然な姿は、クリエイティブなものだからです。

愛でないものは存在しない、つまり、ひとつのものしかないので、平和です。異物がないから摩擦は起きません。衝突しません。

摩擦や衝突のないただひとつの状態があるとは、どういうことでしょうか。ただ、のっぺりした、退屈な状態が横たわっているということでしょうか。

摩擦、衝突がないとき、平和が完全に保たれているとき、その状態は、ただ、自然に拡張していきます。

完璧な平和とは、平和なただひとつの思いが、自然に、広がり深まっていくスリリングな状態のことです。

完璧な平和とは、平和が、次々と人のなかに見出され、人とつながっていくのを感じないわけにはいかないスリリングな状態のことです。

完璧な平和とは、目に見えるさまざまな形や出来事が、痛みの象徴としてではなく、平和が決して壊れることなく常にここにあるということを確認するためのものとしてとらえることのできる、スリリングな変容のことです。

これを、わたしは、神の創造の海、と呼んでいます。

わたしたちは、クリエイティビティそのもの、創造の海、というほんとうの現実のなかに存在しています。

すべての祈りの先に待っているのは、このような現実世界です。

自分の人生が、上手くクリエイトできていない、やりたいことが上手くいかない、いろいろやっているのだけれど何かが足を引っ張る、というようなことを経験しているのだとすると、それは、クリエイティビティが欠けているのではなくて、無限大のクリエイティビティの一部であるという自分の自然な姿を受けいれていないから、ということになります。

クリエイティビティの海に自由に泳ぎ、自由にサーフし、波にのり、好きなところを本当に、広い水平線を眺めながら航海できるのに、重石をいっぱい背負っているという思いが払えないでいるので、ずぶずぶと沈んでしまうように見えるのです。

ヒーリングというのは、この重石を取り除くことです。重石が、自分でこしらえた幻だったと気づくことによって。

そうです、幻だったと気づくことと、ほんとうの現実世界を経験することは同時にやってきます。それが奇跡です。そしてそれは同時に、クリエイティビティの中に戻っていく、ということなのです。それが、ヒーリングです。

その瞬間に、わたしたちを導くのが、祈りです。クォンタム・プレイヤーです。

祈りには、練習が要ります。習慣にするための繰り返しが必要です。

たった今解決したいこと、幻とは到底思えないリアルに感じられる痛み、それらの癒しを求めていても、ほんの少し、創造の海にいる自分というものを想像することを始められてはどうでしょうか。

いずれにしても、クォンタム・プレイヤーは、想像力をたっぷり使い、訓練します。大きな想像をする心の筋肉トレーニングを始めましょう。

 

プラクティショナーの紹介は、下記のリンクをご覧ください。

http://ameblo.jp/quantum-prayer/theme-10097007177.html

「自分でこしらえたイメージから創造の海へ戻るとき、そこに待ているのは、奇跡という新しい風景です。なぜ奇跡か? 創造とは、神の思い、自分の本当の思いであり、それはまた、愛の思い、ホーリースピリットの思いであり、すなわち、『わたしのしらない思い』だからです。しらない思いの断片を知覚するとき、わたしたちは、それを奇跡と感じます。」(「『奇跡のコース』のワークを学ぶガイドブック12 」p.33)