ニューヨークで、幾人もの”ニューヨークの知性“を象徴しているように見える人から、「えっ、君は Yoshiko Chuma を知ってるの!?」と、尊敬のまなざしで見られてびっくりもし、鼻高々にもなったのは、わたしがニューヨークに住み始めて間もない80年代の終わり。

中馬芳子(敬称略)が、The School of Hard Knocks を立ち上げ、“革命的”ダンス作品でニューヨークのポストモダンダンス界に旋風を巻き起こしたのは、1984年だから、わたしはすでに遅れていただけでなく、当時は、友人の写真家、折原恵(敬称略)を通じて中馬芳子をおぼろげながら知っていたというだけであって、実はわたしはまったく、敬意を受けるに値しない小娘なのだった。

それから4半世紀が経った2015年6月、久しぶりに中馬芳子の作品を堪能した。久しぶりに、というのは、久しぶりに観た、ということでもあったけれど、それ以上に、「ここまで磨かれた洗練を、彼女の作品のなかに久しぶりに感じた」ということが大きい。

洗練というのは、何年も続いた懊悩の霞が晴れ、鮮やかな肉体が戻ってきたという証だと思う。というより、中馬芳子の今回の作品が、それを教えてくれた。

『π=3.14.. NOTHINg, or EVERYTHINg   Endless Peripheral Border Kabul-Ramallah-Fukushima-Berlin 』は、彼女が長年積み上げ、螺旋を描くように、何度も何度も同じアプローチを繰り返し用いながら、しかしその都度、新たなものが加えられ、過去のものが、ねじ曲げられ(捨てられはしない、決して)、というしかたでやってきた、いわばシリーズの集大成といった感がある。

今、シリーズという言葉を使ったけれど、中馬芳子という存在が、ある種のシリーズなのだと言ってもいいと思う。このシリーズで披露され、分かち合われる運動体は、 次に進んでいくための動きではなく、先に書いたように、螺旋状に巡るもの、常に、元に戻る動きである。

もとより、目指すところがあるなら、それはアートじゃない。アートというのは、不条理、葛藤、心のなかの確かさと不確かさ、魂の輝きと自我の馬鹿馬鹿しい信念や自己憐憫、ひとりひとりの生活にあらゆる姿で押しかぶさってくる政治、その他たくさんのものを、全部、生き抜くことだ。その、生き抜く姿を、中馬芳子はあますところなく見せてくれた。突きつけてくれた。それを、わたしは、洗練と受け取っている。

心に起こる大小の動きのすべてを見逃すまいとし、そのどれにも目をそらせまいとし、受け入れようとするとき、そこに何が生まれているのかーーーそれは、『叛くエネルギー』だ。

先日このブログで、『正史と叛史』ということを書いたけれど、今回のパフォーマンスでの中馬芳子のダンスは、『叛くエネルギー』の表現でできていたとも言える。

ダンスで心が動いたのは実に久しぶり。ダンサーたちの動きに、心の襞が撫でられているような快感が続いた。強さがあった。叛く強さだ。“一見正しい表情を見せて迫ってくる死の影”に対して叛く強さが。(死というのは、魂を取り囲む肉体の死、精神の死、恐れ、弱さ、欠落、不確かさ、心配などのこと)

叛くとき、死の影というまやかしに叛くとき、心のなかで何が起こるか。

第一に、自我の巧妙な動きに振り回される。

第二に、魑魅魍魎に惑わされる。

第三に、懊悩のなかにほとんど埋没しそうになる。

中馬芳子が、過去数年に見せていたのは、この三つの段階ではなかったかと感じている。それは、おそらく、9.11. を待つまでもなく、彼女が世界のあちこちで見つめ続けてきたもの、新たに加わったFukushima、さらに、何年も、間を置かずして経験し続けることになった“彼女のパーソナルな”事件、事故、災害の数々ということがあっただろう。そのなかで、彼女は、ほぼ全身を埋もれさせながら、それでも、叛く力が、彼女の中心にあることを感じ続けていただろう。だからこそ、懊悩のうちをさらけ出しても、パフォーマンスをやめなかったのだろう。(むしろ沈黙を選びたかったかもしれないけど)

今回、彼女は、埋もれそうになっていた身体を引っ張り出してきて、汚れを払い落とし、真っ白になって、その身体で、心のなかの叛く力を、見事に表現した。繰り返しになるが、これほど力強いダンス表現は、ほんとうに久しぶりだ。7人のダンサーに、やわな身体、無駄な動きはひとつもなく、叛く力に満ちて、めりはりがあり、懊悩の全部を、ついに、完全に引き受けた優雅さがあった。

叛く力とは、闘いの力ではないのだ。闘うのではなく、偽の力に取り囲まれながら、それを消し去っていく心の自然な力、つまり完全な力なのだ。強さと優雅さが完璧に一体となった力なのだ。

中馬芳子に年齢のことなど持ち出すと、ひっぱたかれそうだが、または、呆れられそうだが、若いダンサーたちに混じっての、うんと年上の彼女のダンス(久しぶりに見た)(それも短い時間ではない)は、躍動感と優美さにあふれ、まったくひけをとらない、のではなく、彼女のダンスが、他のダンサーを百パーセントリードしていた。彼女が共に踊るのでなければ、ダンサーたちは、その動きを、その表現を、自分では見つけられなかったのではないか。「ダンスはどこで習ったの」と、ずいぶん昔に彼女に聞いたことがある。答えは、「習うって、どういうこと?」。彼女のダンスは、心のなかに起こるものをほんとうに注意深く見つめ続けてきた人だけが獲得できるもので構成されたもので、身体が完全に心に従属していて、つまり、トシとか、身体自体の持つ自然な衰え、というようなものをはるかに超えて、ただひたすら完璧で美しいのだ。若いダンサーたちの身体が、中馬芳子の洗練された身体から栄養を受け取って生き生きしている。彼女は、ダンスを、身体ではなく心で教えている。実に、ゆるやかに運営される(メンバーが固定していない)The School of Hard Knocks が、school と名付けられている所以と言ってもいいだろう。

完璧というなら、今回の舞台装置、構成、モノローグ、ダイアローグ、そしてお馴染みの“会議”の内容、どれもが、完璧なバランスで、力あふれ、同時に声は清らかなせせらぎのよう、やはりどれもが中馬芳子の心に従属していた。さらに、彼女の心に、他のキャストの心が合わさり、そこに、LaMama 200人の観客の心が加わったのだ。

その場にいたことが、心からありがたい。かつて、ニューヨーク(正確には、イーストヴィレッジ)に到着したばかりの“小娘”が、“ニューヨークの知性”とみなしたものの正体とは、このパフォーマンスで中馬芳子が示してくれたものに他ならなかった。

彼女のそばで息をしていることに誇りを持てる。あらゆる悲惨を知覚する心に、彼女は誇りを差し出してくれ、叛く力を見せてくれる。叛く力をお互いのなかに確認し合える友人ほどかけがえのないものはないだろうし、先に、このパフォーマンスを、シリーズの集大成と勝手なことを書いたが、このシリーズは、中馬芳子が在る限り(そしてそれはずっと在る)続くだろうし、彼女はこれからも心の力をごっそり引き受ける覚悟と感受性に磨きをかけ続けるだろうし、それに、髪をばっさり切った彼女は可愛かった。

 

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(写真提供 La Mama)