日中何をしていようと、就寝前の読書(とバスタイム)の愉しみは欠かさない習慣です。カンファレンス終了日に、たまたま読了となったのが、多和田葉子さんの『献灯使』。彼女に関しては、わたしは、新刊を待ち望んでは胸高鳴らせ、本に向かって手を合わせてからページを開く、というほどのファンです。彼女の作品は、どれをとっても秀逸ですが、この新刊は、傑作、などと呼ぶには失礼なほど。人の想像力のはばたきとは、こんなにも自由で限りのないものかと、各ページ、うれしい驚きに満たされながら、読み終わるのを惜しみながら、の読書時間でした。

とはいえ、この本に描かれているストーリーはどれも、”怖い”ものです。”悲しい”ものです。でも、笑えるのです。心の襞の隅々まで、裏も表も余すところなく撫で回されるような心地よさに笑ってしまうのです。そのような愉しみが、今ここに起こっているということの幸福感に笑うと言ってもいいかもしれません。原発問題(と、その他全部の日本の現状)の先行きに思いを巡らせるなら、真剣に、冷静に観察するなら、このような完璧な小説(小説???というよりも、何と名付けたらしっくりくるか、まだわかりません)が生まれるのではないかと思います。「こんなことで日本は大丈夫なのかしらね〜」とつぶやき合う、その回答がここにあるような。あるいは、この裏側にあるような。

しっくりくる言葉が出ない、と書きましたが、ヒントがどこかにないかと思って、著者インタビューを探してみたら、こんな粋なことをおっしゃっていました。

「福島を語ったり書いたりすると暗いテーマになるから避けてしまう人もいるけれど、確かに大変な問題だけれども、大変な問題だからそのままにしておくというのはどこか暗い。そうじゃなくて、それを真正面に、いや、私はこういうふうに思うんだけどって言葉をフル回転して書いていく、考えるという行為そのものが、脳みそのなかに電気がぱあっとつくような感じがするんです。こんないい発電方法はないですよ。太陽発電さえいらない。考えるだけで電気がつく、光るんだから(笑)。よく観察していると、怖いから気をつけろホルモンが出る。出ると、もっとよく、よく観察して、それを描いている時に今度は幸福ホルモンが出るから。読んでる人も、読んで、読みながらいろいろ考えることでパアッと光が灯る、明るくなるんじゃないか、だといいなと思っています」(ロバート・キャンベル氏との対談のダイジェストより@フィガロジャポン.jp)

『献灯使』という言葉、意味合いはぜんぜん違うけど、この言葉をお一人お一人にそっと乗せるような気持ちで、カンファレンスに参加してくださったみなさんを、日本にお見送りしました。

写真は、まだ肌寒いけど花は満開となったマンハッタンの一角、うちのアパートの今朝の窓辺です。写りませんが鳥の声が賑やかで、大きなミツバチも花にたかっています。(ですから、窓を閉めないと、うるさくて精読の録音はできません:)IMG_0837